断食芸人
2012-11-10T21:41:43+09:00
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本・雑誌・ニュース・頭の中のメモ・メモ・ひたすらメモ
Excite Blog
美術史まとめ
http://secular.exblog.jp/17105116/
2012-11-03T23:13:28+09:00
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メモ
ルネサンス三大巨匠
盛期ルネサンスの巨匠たち
レオナルド・ダ・ヴィンチ (1452-1519)
異端の芸術家。
ミケランジェロ・ブオナローティ (1475-1564)
生粋の芸術家。彫刻をベースとし、人体の表現を極める。
ラファエロ・サンティ (1483-1520)
レオナルドとミケランジェロに学ぶ。ロマンティックな画風。
ルネサンス芸術家その他
ティッツィアーノ・ヴェチェッリオ (1490頃-1576)
ヴェネツィア派。カンヴァスに直接描く、色彩豊かな画風。]]>
御用邸について
http://secular.exblog.jp/15235336/
2012-01-07T23:50:00+09:00
2012-11-03T22:59:11+09:00
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メモ
葉山御用邸
所在:神奈川県三浦郡葉山町
竣工:昭和56年
特色:三浦半島に位置し、相模湾に面する
那須御用邸
所在:栃木県那須郡那須町
竣工:本邸、大正15年 付属邸、昭和10年
特色:那須湯本温泉が近くにある
須崎御用邸
所在:静岡県下田市須崎
竣工:昭和46年
特色:伊豆半島の先端に位置し、近くに浜辺も
◆過去に使用されていた御用邸
神戸御用邸
所在:兵庫県神戸市
面積:13,000㎡
竣工:明治19年8月
廃止:
特色・明治天皇の行在所
熱海御用邸
所在:静岡県熱海市
面積:11,000㎡
竣工:明治22年12月
廃止:昭和3年、老朽化により取り壊し
沼津御用邸
所在:静岡県駿東郡静浦村(現・沼津市)
面積:敷地約15万㎡ 宅地?㎡
竣工:明治26年7月
廃止:昭和44年廃止
特色・大正天皇(当時皇太子)の静養のために造営。現在は沼津御用邸記念公園
伊香保御用邸
所在:群馬県
面積:山林235,000㎡、宅地6,720㎡
竣工:明治26年7月
廃止:昭和27年、焼失
特色・伊香保温泉の近く
◆計画されていたが完成しなかった御用邸
初声御用邸
所在:神奈川県三浦市初声。三浦半島の油壺周辺
経緯:昭和恐慌などの影響により自然消滅
※注記※
本邸は天皇皇后専用、付属邸は皇太子用。ただし平成からは秋篠宮一家が宿泊することがある
※参考文献※
宮内庁 公式WEBSITE
高橋紘 『人間 昭和天皇』 講談社 2011年]]>
天皇関係文献 所蔵一覧
http://secular.exblog.jp/13590994/
2011-05-16T17:53:00+09:00
2012-11-10T21:41:43+09:00
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本
浅羽通明 『天皇・反戦・日本』 幻冬舎 2007年
※一部読み
浅見雅男 『不思議な宮さま 東久邇宮稔彦王の昭和史』 文藝春秋 2011年
※読了(2012.10)
安部能成他 『天皇の印象』 創元社 1949年
※未読
石井良助 『天皇 天皇の生成および不親政の伝統』 講談社学術文庫 2011年
※未読
猪瀬直樹 『天皇の影法師』 新潮文庫 1987年
※未読
猪瀬直樹 『ミカドの肖像』 小学館文庫 2005年
※未読
入江相政 『真夜中の硯 侍従長のひとりごと』 講談社 1982年
※未読
入江相政 『入江相政日記』 朝日新聞社
※拾い読み
入江相政 『入江相政日記』 全12巻 朝日文庫 1994~95年
※未読
岩井克己 『天皇家の宿題』 朝日新書 2006年
※読了
岩見隆夫 『陛下の御質問 昭和天皇と戦後政治』 文春文庫
※読了
小田部雄次 『ミカドと女官 -菊のカーテンの向こう側』 恒文社 2001年
※未読
小田部雄次 『昭憲皇太后・貞明皇后』 ミネルヴァ書房 2010年
※未読
折口信夫 『折口信夫天皇論集』(安藤礼二編) 講談社文芸文庫
※未読
加瀬英明 『天皇家の戦い』 新潮文庫 1983年
※未読
加瀬英明 『昭和天皇 三十二の佳話』 有楽出版社
※拾い読み
河原敏明 『昭和天皇の妹君 謎につつまれた悲劇の皇女』 文春文庫 2003年
※読了。三笠宮の双子の妹=円照寺門跡を明らかに
河原敏明 『昭和天皇とその時代』 文春文庫 2003年
※読了。通史
久能靖 『知られざる皇室 伝統行事から宮内庁の仕事まで』 河出書房新社 2010年
※一部読み
皇室担当記者編 『皇室報道の舞台裏』 角川oneテーマ 2002年
※読了
後藤致人 『内奏 天皇と政治の近現代』 中公新書
※拾い読み
坂本多加雄 『象徴天皇制度と日本の来歴』 都市出版 1995年
※読了
佐野眞一 『枢密院議長の日記』 講談社現代新書 2007年
※拾い読み
佐野眞一 『昭和の終わりと黄昏ニッポン』 文春文庫 2011年
※読了(2011.11)。雑誌掲載文を単行本にまとめたものを文庫化
昭和天皇の崩御前後。昭和天皇の不在と平成の時代諸相の関係を描く
清水勲 『ビゴーが見た日本人』 講談社学術文庫 2009年
※未読。明治期日本に17年間滞在したフランス人画家が描く日本
清水勲 『ビゴーが見た明治職業事情』 講談社学術文庫 2009年
※未読。フランス人画家が明治期日本を描いた絵をもとに明治の職業を紹介
杉森久英 『明治天皇』 中央公論社 1986年
※未読
杉森久英 『天皇の料理番』 読売新聞社 1980年
※未読
高橋紘・所功 『皇位継承』 文春新書 1998年
※拾い読み?
高橋紘 『人間 昭和天皇』上下 講談社 2011年
※上巻読了(2012.1)
高松宮宣仁 『高松宮日記』 中央公論社
※拾い読み
千田稔 『華族総覧』 講談社現代新書
※拾い読み
筒井清忠 『昭和期日本の構造 二・二六事件とその時代』 講談社学術文庫 1996年
※読了
寺崎英成・マリコ・テラサキ・ミラー 『昭和天皇独白録』 文春文庫 1995年
※拾い読み
イザベラ・バード 『イザベラ・バードの日本紀行』上下巻 講談社学術文庫 2011年
※未読。1878年来日したイギリス人女性の日本旅行記
橋本明 『平成皇室論 次の御代にむけて』 朝日新聞出版 2009年
※読書中(2011.12)
原武史 『大正天皇』 朝日選書 2001年
※読了
原武史・保阪正康 『対論 昭和天皇』 文春新書 2004年
※読了
原武史 『昭和天皇』 岩波新書 2008年
※読了
原武史 『増補 皇居前広場』 ちくま学芸文庫 2007年
※未読
半藤一利 『卜部日記富田メモで読む人間・昭和天皇』 朝日新聞社 2008年
※未読
福田和也 『美智子皇后と雅子妃』 文春新書
※読了
福田和也 『昭和天皇 第一部』 文藝春秋 2008年
※連載時にほぼ読了。単行本も読了(2011.6)
福田和也 『昭和天皇 第二部』 文春文庫 2011年
※読了(2011.6)
福田和也 『昭和天皇 第三部』 文藝春秋 年
※読了(2011.7)
福田和也 『昭和天皇 第四部』 文藝春秋 年
※読了(2011.7)
福田和也 『昭和天皇 第五部』 文藝春秋 2011年
※未読
T.フジタニ 『天皇のページェント 近代日本の歴史民族誌から』 NHKブックス 2002年
※読了
古川隆久 『昭和天皇 「理性の君主」の孤独』 中公新書 2011年
※拾い読み
文藝春秋編 『大いなる昭和 昭和天皇と日本人』 文春文庫 1996年
※一部読み
保阪正康 『秩父宮 昭和天皇弟宮の生涯』 中公文庫 2000年
※未読
保阪正康 『昭和天皇』 中央公論新社 2005年
※読了(2009)
保阪正康 『崩御と即位 宮中で何が起こっていたのか』 新潮社 2009年
※一部読み(2011)
H.G.ポンティング 『英国人写真家の見た明治日本』 講談社学術文庫 2011年
※未読。1902年頃日本を訪れたイギリス人写真家の旅行記
御厨貴他 『近現代日本を史料で読む 「大久保利通日記」から「富田メモ」まで』 中公新書 2011年
※一部読み(2011)
オットマール・フォン・モール 『ドイツ貴族の明治宮廷記』 講談社学術文庫 2011年
※拾い読み。お雇い外国人として宮内省に招聘されたドイツ外交官の日本体験記
矢澤高太郎 『天皇陵の謎』 文春新書 2011年
※拾い読み。元読売新聞記者。古代天皇の実在は否定
八幡和郎 『お世継ぎ 世界の王室・日本の皇室』 文春文庫 2007年
※拾い読み
八幡和郎 『皇位継承と万世一系に謎はない』 扶桑社新書 2011年
※未読
山本七平 『昭和天皇の研究 その実像を探る』 祥伝社 1989年
※読了
山本雅人 『天皇陛下の全仕事』 講談社現代新書 2009年
※読了
横井齊 『昭和天皇の笑顔』 保育社 1990年
※未読
吉田祐二 『天皇財閥 皇室による経済支配の構造』 学研パブリッシング 2011年
※拾い読み(2011)
歴史雑学探究倶楽部編 『天皇家の謎』 学習研究社 2008年
※拾い読み
渡辺誠 『昭和天皇のお食事』 文春文庫 2009年
※読了
渡邉允 『天皇家の執事 侍従長の十年半』 2011年
※読了(2011.12)
『昭和天皇と激動の時代 【終戦編】 正論9月号臨時増刊号』 産経新聞社 2005年
※拾い読み
『特集 近代天皇論 大航海 No.45』 新書館 2003年
※一部読み
2012.1.7.追記
]]>
メモ ― 天皇について
http://secular.exblog.jp/9832833/
2009-06-08T10:58:00+09:00
2011-05-17T20:31:08+09:00
2009-06-08T10:58:11+09:00
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メモ
【 入江相政侍従長と"魔女"今城誼子(貞明皇太后と香淳皇后の女官) 】
・入江の「専横」と「祭祀軽視」?
【 尼門跡寺院「円照寺」と三島由紀夫『豊饒の海』の「月修寺」 】
・円照寺の山本静山門跡と三笠宮殿下が双子の兄妹であることは公然の秘密。静山門跡はすなわち糸子内親王。『豊饒の海』はこの円照寺をひとつの舞台にしており、皇族との恋愛がテーマである「最大の不敬小説」(島田雅彦)であるが、三島ははたして静山門跡の事実を知っていたのか知らなかったのか。
【 葉山御用邸消失事件(1971年1月) 】
・放火犯角田俊治は「軽度の精神分裂病」(河原敏明)だったのか、あるいは「過激派」(原武史)だったのか。河原は、警察が「過激派でなかったことには胸をなでおろした」と書く。
【 訪欧(1971年9-10月)と訪米(1975年) 】
・アメリカより欧州を優先して訪問したのはなぜか。訪米の予行演習として訪欧だったのかどうか
【 昭和天皇と沖縄 】
・沖縄訪問に積極的だったのか消極的だったのか]]>
伊藤静雄と江藤淳と石原慎太郎
http://secular.exblog.jp/9823598/
2009-06-06T02:43:00+09:00
2009-06-10T03:09:51+09:00
2009-06-06T02:43:37+09:00
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メモ
江藤淳が自殺したのは1999年7月21日夜。ちょうど10年前になるのか。
当時読んだ追悼文のなかで出色だと思ったのは、吉本隆明と福田和也の文章だった。
『文藝春秋』には石原慎太郎の文が掲載されている。自殺の直前まで江藤淳と大きな意味のやりとりをしていたことが回顧されているあの文章である。今回再読してみて、実に良かった。石原氏にしか書けない内容、文章で、自分は石原慎太郎の文(体)が好きなんだなあとふと思いもした(余談だが、石原慎太郎の文章において、慎太郎はいつも絶対的に正しい。婉曲的であろうとも、慎太郎の正しさを本人はつゆとも疑ってはいない。そういうところに好き嫌いが分かれる理由があるだろうけど、慎太郎に対してそういう疑念をもつことそれ自体が無意味だ。「正しい」石原慎太郎を私たちはただ、味わえばよいのであり、そしてそれは十分に価値あることなのだ)。
そういうこともあり、石原慎太郎と福田和也の対談も読んだ(『文学界』)。
あまり噛み合わない対談ではあるのだけれど、後日、福田和也「絶望の獲得」という短文(『南部の慰安』所収)をなんとなく読んでいたらある人物について触れられており、たしかこの対談でもその名があがってきたのではなかったかと思い出して、ふたたび『文学界』をひらいてみた。
その人物は、詩人の伊藤静雄。
江藤淳の書いた『石原慎太郎論』が最良の慎太郎論だと福田和也が語り、その本の冒頭に伊藤静雄の詩が引かれているという。それは。
「すべてのものは吾にむかひて
死ねといふ、
わが水無月のなどかくはうつくしき」
―『水中花』
(つづく)]]>
K氏 ―― 坪内祐三と粕谷一希
http://secular.exblog.jp/8355596/
2008-07-28T20:25:00+09:00
2008-08-07T19:53:32+09:00
2008-07-28T20:25:37+09:00
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本
例によって、先走って興味のあるところをパラパラめくっていると、いくつもの思わぬ言葉に出会った。ひとつは、坪内祐三が雑誌『東京人』の編集者時代に、編集長粕谷一希のとりはからう若手学者の研究会の助手をしていたということだ。そこには、坂本多加雄先生の名前が・・・。先生は、坪内祐三のことを知っていたのだろうか。あるいは、一編集者として、記憶に残らなかっただろうか。あの頃、坪内祐三の話題を話してみればよかった。当時の思い出でも話してくれたかもしれない。(いや、坪内祐三の名前は先生の前で云ってみた記憶もあるのだけど。)
それで、本書は坪内祐三の『東京人』時代のエピソードが豊富なので、そのあたりを中心に読んでしまう。そして、坪内祐三が編集部に入るいきさつとか、『東京人』という雑誌の創刊にまつわる話とかが面白かったのだけど(例えば坪内祐三の父親が『東京人』創刊の黒幕だったというような)、ちょっと意味ありげな名前の人物がでてくるところがある。
「K氏」と、本文では名前が伏せられてはいるが、同時に『秘密結社の記号学』という本をだしたとまで書いてあるのだから、K氏という表現は意味ありげだ。私のような読者はすぐネットでK氏の本名を調べるわけであるから。
K氏とは加賀山弘のこと。そんなもん、すぐわかった。でも、初めて聞いた名前である。K氏は編集部に半年ほど在籍しただけのようで、坪内祐三とは、常盤新平との関係のなかで結構な立場にあったようである。それはそれで、常盤新平との話のほうが面白いので、K氏のことはすぐ忘れてしまうのであるが、その数ページ前に、粕谷一希が雑誌を創刊する目的を書いてあるところが印象的だ。粕谷氏はなんでも、アメリカの雑誌『ニューヨーカー』の東京版をだそうというらしいのだが、坪内祐三によれば、粕谷氏はおそらく、『ニューヨーカー』を読んだことがないであろうというのである。
ここに反応してしまうのは、ちょうど粕谷氏の『作家が死ぬと時代が変わる』(日本経済新聞社)という聞き語りの本を途中まで読んでいたからだ。これは粕谷氏の自伝。まだ半分くらいなので、『東京人』創刊の頃の話までは読んでいなかった。
早速、こちらのほうを読んでみると、ありました。『ニューヨーカー』にヒントを得て新雑誌を創るというエピソードが。なるほど、粕谷氏が昔から『ニューヨーカー』の愛読者であるというわけではないことは明らかである。そして。
その前後もパラパラ読んでいたら(坂本多加雄先生の名前はなかったが)、「あとがき」を読んでビックリ、同じくK氏という名前が登場するのである(「あとがき」まで読んでしまった)。この本は、「水木楊氏とK氏の勧め」によってできあがった本であると本人が書いているのだ。
このK氏という人、この人物が坪内祐三の云うK氏と同じであるかどうかはわからない。もし同じ人物を指しているとするならば、K氏が、親しい粕谷氏の、自分が大きく関わっているこの本のなかでも匿名なのは、一体なぜなんだろうか。それだけ。
= 追記 =
『作家が死ぬと時代が変わる』を最後までちゃんと読んでみると坂本多加雄先生の名前が途中ででてきた。これは失礼。(2008.8.7.)
]]>
戦後の論壇・文壇――粕谷一希『作家が死ぬと時代が変わる』
http://secular.exblog.jp/8305154/
2008-07-19T21:22:53+09:00
2008-07-19T21:23:17+09:00
2008-07-19T21:23:17+09:00
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メモ
【文学の系譜】
―第一次戦後派―
大岡昇平
野間宏
武田泰淳
椎名鱗三
堀田善衛
―無頼派―
坂口安吾
太宰治
織田作之助
石川淳 『焼け跡のイエス』
―第三の新人―
吉行淳之介
遠藤周作 『死海のほとり』
安岡章太郎
― ―
石原慎太郎
大江健三郎
―その後―
開高健
北杜夫
日野啓三
竹西寛子
大岡信
加賀乙彦
辻邦生
―批評家―
小林秀雄
福田恆存
江藤淳
【時代の系譜】
―50年安保
―60年安保
―全共闘世代(団塊の世代)
]]>
サブプライム余話Ⅰ
http://secular.exblog.jp/8158053/
2008-06-24T14:06:00+09:00
2008-06-24T14:08:01+09:00
2008-06-24T14:07:04+09:00
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新聞・ニュース
【ショートセール】・・・Short Sale
不動産において、住宅ローンの支払いができなくなった場合に、銀行が借り手と共同して融資残高より低い金額で住宅を売却し、借り手の負債を帳消しにすることを合意すること。借り手だけでなく、銀行側も一定の損失をだす。ただし、買い手が現れなければ住宅は差し押さえられ(所有権は銀行に)、借り手は破産と記録される。
株式に用いられる場合は、「空売り」の意味となる。]]>
不法原因給付
http://secular.exblog.jp/8090111/
2008-06-13T12:36:00+09:00
2008-06-13T12:29:26+09:00
2008-06-13T12:26:57+09:00
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メモ
公序良俗に反する契約など、反倫理的理由で渡した物は、契約が履行されなくても返還を求めることができないとする民法の規定。給付物は相手のものになる。男性が愛人関係を結んだ女性のために家を建てて女性に贈ることは不法原因給付に当たり、男性はその後、女性に家の明け渡しを求めることはできないとする判例がある。
(『産経新聞』2008.6.11)ヤミ金の高利貸付に対し、借り手が利息分のみならず元本分の損害賠償を請求できることを最高裁が判例で示した訴訟(2008.6.10判決)。
上記の例で云えば、愛人契約を結んだ男性は、家の明け渡しを求められないのは当然のこと、女性の側もこの「愛人契約」に基づく契約履行請求(例えば金銭の要求)はできない。それは、この「愛人契約」が公序良俗に反するため無効な契約となるからであり(民法90条)、「不法の原因」(この場合は、愛人契約)のために給付した者は、その給付した物の返還を請求できないと規定されているため(民法708条)である。
この愛人契約が無効であるからといって、既に授受された金銭等は返還すべき「不当利得」とはならない。法律上の原因がないのに他人の損失において利益を得ることを不当利得と云い、不当利得は(損失を受けている他人に)返還しなければならない(民法703条)とあるが、この利得は、公序良俗に反する愛人契約という「不法の原因」によるものであるからである。
≪参考≫
法律豆知識
http://www5f.biglobe.ne.jp/~kitagawa/mame011.html
複雑な話だけど、つまりは、無効な契約を結んでしまったらいいことありませんということ。大変面白い法律だ。]]>
北方領土問題整理
http://secular.exblog.jp/7929677/
2008-05-19T01:54:00+09:00
2008-07-01T10:38:37+09:00
2008-05-19T01:54:48+09:00
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メモ
今回ちょっと追記
1945/8/9 ソ連軍、満州侵入
1956 日ソ共同宣言
国交回復成立とともに、平和条約後の二島先行返還を約束
1990-92 先進7ヶ国首脳会議(サミット)の議長声明or政治宣言
「法と正義の原則に基づき外交政策を展開するとの
ロシアの公約を歓迎する。
(それが)領土問題の解決を通じた日露間の正常化の
基礎となる」と明記
1993/10 東京宣言(細川・エリツィン)
四島帰属問題を法と正義の原則を基礎として解決する
と宣言
1997/10 東郷・佐藤、橋本総理に北方領土問題を説明
1997/11 クラスノヤルスク合意(橋本・エリツィン)
両国間で領土問題が存在することを明文化
東京宣言に基づき2000年までに平和条約締結に全力を
尽くすと約束
1998/4 川奈提案(橋本・エリツィン)
日露非公式首脳会談において橋本総理が北方領土問題
解決に関する秘密提案を行なう
1998/11/12 モスクワ会談(小渕・エリツィン)
日露公式首脳会談。川奈提案に対するロシア側の回答
2001 イルクーツク声明
日ソ共同宣言の確認
2005 欧州議会がロシアに北方領土の返還を求める決議採択
= 参考文献 =
佐藤優「インテリジェンス交渉術」(『文芸春秋』5・6月号)
『産経新聞』(2008.6.30.)
(追記=2008.7.1.)]]>
東浩紀「棲み分ける批評」
http://secular.exblog.jp/7664064/
2008-04-08T20:24:00+09:00
2008-04-08T20:40:02+09:00
2008-04-08T20:24:12+09:00
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要約
ということで、むかーしの雑誌を開いていたら、こんな文章を見つけた。当時はまだ東大の大学院生だった東浩紀の「棲み分ける批評」(『Voice』平成11年4月号)という書きもの。なんと、9年も前の文章である。
それを今読んで、はたしてどんな意味があるのかという疑問は、とりあえず読んでみたという事実によって、とりあえず解消される。なぜなら、結構面白かったから。内容が的を得ているかどうかは別として。
発売当時に読んだかどうかは覚えていないけど、読んだ以上は何か形に残しておきたい。そういう考えで、ここに要約を残しておこう。
*90年代の文芸批評は、アカデミズムとジャーナリズムの二極化が徹底された
*90年代のアカデミズムは高度に専門化し、社会的効力を喪失する一方で、ジャーナリズムは社会的効力を志向することで知的緊張を失った
*前者の代表者が浅田彰らポストモダニズム批評家、後者が福田和也
*だが両者は対立するというよりむしろ、棲み分けによる共存をはたしている。しかし、それゆえに、両者の対立は溶解不可能である
*その棲み分けは同時に、知的緊張と社会的緊張を併せ持つ批評が成立し得ない環境を生み出している
*かつて日本の批評を一手に担った小林秀雄は、メッセージの強度(つまり知的緊張)は、メディアとの相互応答(つまり社会的緊張)なしには健全でいられないと考え、西田幾多郎の哲学をなじった
*だが、90年代という時代は、批評の多様性にその特徴があり、まずはそれを素直に受容すべき
*なぜこの棲み分けが起きているか。その第一の原因は、ポストモダンであるがゆえである。70年代末にリオタールがこの言葉を用いたのは、特定の新たな文化的モードに注目するためではなく、むしろ逆に、複数のモードが混在し、どれもが支配的になることなく並立しつづける文化的状況の到来を警告するためだったからである。すなわち、90年代は、ポストモダニズムの徹底化に他ならない
*いまや特定のモードが文化的先端を僭称することはできない
*メッセージの「意味」は現在では共有されない。その共有をささえるはずの意味づけの機能そのものが、この社会では細分化され、機能不全に陥っているからだ。メッセージの意味ではなく、メッセージの伝達の事実性が重要となっている
*批評文の「意味」に固執するアカデミックな批評家は流通可能性を捨てざるをえないが、逆に流通可能性を重視するジャーナリスティックな批評家は「意味」を無視せざるをえない
*棲み分けの第二の原因は、かつての文芸批評が特権的に占めた「思考のための日本語」、小林秀雄の言う「健全」な日本語の場所が存在しないことである。思考と日本語が分離しているのである。
*それゆえ、現代における批評の条件は、思考のための新しい文体の創造である。
*小林秀雄ら戦後の文芸批評家は、思考と日本語の融和に成功していた(ように見えた)のだ
*しかしながら、90年代のこの環境においては、小林秀雄の実践は成立しえない(独断的にしか成立しない)
*加藤典洋が典型で、加藤は日本の哲学に対する文芸の優位を主張しているが、批評の多様性の時代にあって、もはやそれは無効である
*加藤がとるべきは、古い文芸批評の語り口ではなく、アカデミズムとジャーナリズムを同時かつ横断的に説得できる別の新しい文体であるべきだった
* * *
以上、要約終わり。積極的に引用しているが、いちいち指摘していない。
この文章の疑問点は、
1. 福田和也がジャーナリズムの世界にいるという認識ははたして正しいのかどうか
2.アカデミズムがジャーナリスティック的効果をもつことがそもそも正しいのかどうか
3.日本にアカデミズムは存在しているのかどうか
4.小林秀雄、福田恆存、江藤淳、福田和也の系譜は社会的緊張及び知的緊張を保持していると思うがどうか
5.アカデミズムの左翼性が単に力を失って(たとえば国家の枠組みに依存しながら国家を所与のものとして考える思考ができない頑迷さ)、イデオロギー性のないアカデミズムが新たに登場してきていると云えるのではないか
6.ポストモダニズムが徹底した多様性の時代だとすれば、包括的な文体が登場しうるか、そもそも登場すべきなのか
なと。おしまい。これで心置きなく、この古雑誌を捨てられます。南無。]]>
舞城王太郎の小説―福田和也「わが戦前」
http://secular.exblog.jp/6085748/
2007-09-05T05:25:00+09:00
2007-09-05T22:36:24+09:00
2007-09-05T05:25:21+09:00
le-moraliste
本
近所の図書館は狭くて本の数もわずかと、いいことなしずくめなのだけど、それでも趣くまま自由に本をとり、椅子に腰かけ本を読めるのは、格別の喜びがある。無分別な子供たちが賑やかでうるさく感じることがあっても、それもたいして気にならないくらいに落ち着ける。
何回か通えば、常連のようにご老人方が静かに読書している光景に慣れてくる。朝一番で図書館にやってきて、その日の新聞や当日発行された雑誌を中心に読んでいるようだ。おそらく、それが生活の大きな愉しみになっているのだろう。何を読んでいるんですか、と声をかけてはバチが当たりそうなほど溶け込み、自然である。
私も負けじと雑誌コーナーで面白そうな記事を物色していたら、文芸誌『新潮』で、福田和也「わが戦前――平成年間の感情、思想、文芸――」なる連載が掲載されているのを見つけた。こんな、タイトルだけで面白そうな連載が進行中だなんて、恥ずかしくも知らなかった。
途中から読む前にできるだけ連載の最初のほうはないかとバックナンバーを探してみると、「第六回」が遡れる最新のものだったので、それが掲載されている号を早速持ち出し、図書館内で早速読み始めた。取り上げられていたのは舞城王太郎だった。
舞城王太郎。あまりいい印象のない作家である。以前、どこかで福田和也が絶賛していたため舞城の『阿修羅ガール』を購入し読んだことはあるけれど、途中から壊れていく文章、物語構造についていけなかったのである。たしかに文章はうまく、読み応えはあった。途中までは。
これが現代の文学(小説)なのか、といろいろな意味で落胆するばかりであったが、再び舞城王太郎についての文章を読まなければならなくなった。福田和也の文章を追っていこう。強引さが、つねに幼さ、ひ弱さとともに現われるところにこそ、舞城王太郎流の暴力の、論理においても肉体的にも発揮される、その傍若無人の本質がある。というよりも、舞城作品における暴力は、その基盤も論理も欠いた森羅万象にかろうじて秩序に似たもの、世界らしきものをあたえる、唯一の力である。にもかかわらずその暴力は、「定められた目標」や「解決の目処」をもちえない。だからこその「幼さ」。それゆえに、暴力は「歯止めない徹底的なもの」とならざるをえないのである。この「幼さ」と「徹底性」は、今日話題にのぼりつづける青少年の犯罪に見うけられるものと同じものだ。今日では「幼児性を帯びてあらわれる舞城作品の暴力こそが、現実的」なのだ。
実際、『阿修羅ガール』を読んでみて強く印象に残ったことは、リアリティ、現実性の高さである。そうそう、今の子はこういう会話をしているなぁ、確かにそんな考え方をしていると納得したことは事実である。ところで、私たちが一般に人間を描いていると考える小説(純文学)について、リアルだと思うことはできても、それがリアルであるという保証は何もない。単に、そう感じているだけである。その意味では、リアルを感じることのできる力が、舞城王太郎の小説にあったことは理解している。
そして福田和也は推理小説を引き合いに出す。「推理小説というジャンル自体が、人間性の軽視、ヒューマニティの縮減を必然的に要請する」のは、小説を想像力の賜物とするロマン主義の文学観と正面からぶつかった、エドガー・アラン・ポーの文学観、すなわち「文芸をある種のメカニズム、論理によって構成される仕掛け、誰にでも組みたてられる汎用品」とみなす乾いた視点が推理小説の原点だからである。舞城王太郎はこの推理小説を出発点とした作家なのである。
舞城王太郎は、人間性の希薄な小説作法をそのまま純文学に持ち込んだ。そして、その希薄さが、現在、生きている人間たちの感情と関係の希薄さと接近するというわけだ。それだけではない。恐怖というものについて、ポーの作品では、「外側に発するものではなく、人間の内面の不確かさ、気まぐれ、根底の欠如に発し、その外在化として畏怖すべき力がせまってくる」一方で、舞城作品では「自分がいつか殺されるという確信、その恐怖が、ここでは歓喜と同一になっている」「無力であるということ、無意味な存在であるということの確信が最上の歓喜をもたらす」とされるのである。
ポーの恐怖観は舞城と比べて多分に人間的であると(従来なら)考えられるだろう。ここでは、舞城作品はきわめて非人間的である。恐怖に喜びさえ見出す無力さは、子供であること、幼児的であることと直接に結びついている、と福田和也は云う。人間の幼児性において、舞城王太郎は現実よりも徹底していると云えるだろう。その幼児性は非人間的ですらある。ここで、舞城王太郎は人間から遠ざかっていってしまうのだろうか。それとも、幼児性こそが、現代の人間に符号するのだろうか。
以下、続く]]>
今日のフリーメモ
http://secular.exblog.jp/6080363/
2007-09-04T03:27:07+09:00
2007-09-04T03:27:12+09:00
2007-09-04T03:27:12+09:00
le-moraliste
メモ
・ユコス事件
・故サイデンステッカーの自伝
・長期金利論争―金利を成長率より高く設定するのが先進国の常識らしいが、それを巡る話
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首相の秘密と北方領土問題
http://secular.exblog.jp/6011054/
2007-08-22T03:47:00+09:00
2007-08-22T04:26:13+09:00
2007-08-22T03:45:02+09:00
le-moraliste
新聞・ニュース
さて、首相しか知らないことの申し送り、とは何だろう。非常に気になる内容である。首相しか知らないのだから、一般には漏れることはないに違いない。でも非常に知りたい。日本にどれほどの国家機密があるのだと訝りたくなるけれど、知りたい。
そう云えばアメリカのトルーマン元大統領は、第二次大戦中、ルーズベルト前大統領が突然亡くなったあと副大統領から大統領に就任したさい、初めて原爆の投下計画があるのを知ったという。副大統領にも原爆計画を隠しておいたというのは不思議であるが、そこで初めて知ったトルーマンも、相当驚いたに違いない。どこの国のトップも、人には明かせない秘密を抱えながら仕事をしているのだろう。ましてや一国の最高機密となれば、そのプレッシャーは計り知れない。でも、私は知りたいのである。
【追記】
ネットで検索してみたら、田中秀征氏の文章を見つけた。「宮沢先生の思い出」と題するエッセイで、まさに、この宮澤・細川会談について触れている。田中氏はそれに同席していたそうだ。
長いので引用しないが、なるほど、やっぱり「日本の首相には引き継ぎを必要とする案件はない」んだそうだ。クリントン大統領との会談内容について、具体的には「「NPT条約」(核不拡散条約)の延長問題や日本の常任理事国入り問題についての重要な話」だったそうだが、確かに国家機密のようなものではない。でもその会談内容について、やっぱり知りたいなぁ。
* * *
昨日の『産経新聞』(19.8.21.付)で、ムネオ問題で非難を浴びに浴びまくった元外務省官僚の東郷和彦氏が『北方領土交渉秘録』という本をだしたそうで、そのインタビューが掲載されていた。
その内容はどうでもいいのだが、ここで北方領土問題の歴史を簡単に確認していきたいので、メモ。
1945年8月9日 ソ連軍、満州侵入
1956年 日ソ共同宣言
国交回復成立とともに、平和条約後の二島先行返還を約束
1993年 東京宣言
四島帰属問題を法と正義の原則を基礎として解決すると宣言
1997年 クラスノヤルスク合意
両国間で領土問題が存在することを明文化
2001年 イルクーツク声明
日ソ共同宣言の確認
この半世紀、まるで進展していないことが、これだけでもわかる。私個人の見立てでは、永遠に返還は不可能であると思われる。]]>
芥川賞と『Always』
http://secular.exblog.jp/5986660/
2007-08-17T20:08:00+09:00
2007-08-18T01:58:34+09:00
2007-08-17T20:08:58+09:00
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映画
お盆に実家に帰り、たくさんの本を抱えて読むのを愉しみにしていたのだが、例によって、姪っ子たちとのバトルで疲れきるだけであった。そんな数少ない暇な時間で読んだものは、せいぜい『週刊文春』と『文藝春秋』くらい。
* * *
今月の『文藝春秋』には芥川賞受賞作が全文掲載されていて、諏訪哲史「アサッテの人」というのがそれだが、私は全く読む気にならないので選評だけを眺める。しかも慎太郎のものと山田詠美の短文のみ。
慎太郎は常のように氏自身の文学観から候補作をすべてなで斬りしていた。いわく、表題の適当さはもういい加減にしてもらいたい、と。確かに。でも、だいぶ前の芥川賞受賞作、川上弘美の『蛇を踏む』を当時選評でこき下ろしていた一方で、川上弘美のその後の活躍はご存知の通り。なにも慎太郎の文学観を否定するわけじゃないけれど、必ずしも慎太郎の考え通りにはこの昨今の文学界は進んではいないということである。もっとも、『蛇を踏む』をはじめ、川上弘美の小説を私は一篇も読んでいないので、私にはどうとも判断できません。
同じく選評で山田詠美のを読んでみたのは、ただ選評の最後にあって目についたから。で、驚いた。受賞作を評して最後に「この受賞が、作者の<アサッテ>になってくれたら、嬉しいな」。
こっちこそ、いい加減にしてもらいたい。なんだその気の抜けた文章。こんなもので、選考委員一回100万円もらえるとは。
* * *
子供たちに合わせて映画『西遊記』を観た。主演の・・・(名前がでてこない)、 そうだ、香取慎吾の演技下手には目を背きたくなるけど、子供たちの孫悟空= 香取慎吾人気はすごかった。個人的にはウッチャンに注目していたけれど。
王女役の多部未華子がいい演技をしていたと思う。存在感もあるし、表情もよかった。CMではよく見かける子だが、これでようやく名前を覚えることができた。今後に期待。
* * *
家に戻ってからは、なんだか映画を観たくなったので、外出途中で思わず映画館に立ち寄る。『トランスフォーマー』か『オーシャンズ13』か迷ったけれど、時間の都合で後者に。
やはり一作目(『11』)がよかった。アンディ・ガルシアがコミカルな立場にたたされていて多少面白かったが、やはりホテルオーナーとしての風格を感じさせる演技を見たかった。ストーリー上、仕方なかったかもしれないが。
まだ観たりないので、DVDを借りてきて『Always 3丁目の夕日』を自宅で観た。かなり流行に遅れているけれど、ようやく観る気になった。確かに、噂に違わぬ面白さであった。
玄人筋からも評判がよかったので安心して観ていたけど、(私自身は知らない)昭和30年代の日本の街角の様子が見事に描かれていたと思う。涙を誘う展開がありがちではあるが、そんな物語も実際にあったろうと思わせる時代であるのは確か。みんなが上を向いていた時代だったのだろう。特に、目立った建物のない地平に東京タワーが聳える画は、なんとも云えない趣きがある。高層ビルなどなかった当時の東京から、今のビルが林立する東京へ、何がどう変わっていったのだろう。]]>
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