東浩紀「棲み分ける批評」
2008年 04月 08日
むかーしの雑誌を整理(つまり廃棄処分)をしていると思わず目次を開いて、誰が何を書いているのかを確認してしまう。貴重な文章はたいてい読んでいると思われるのだけど、もしかしたら読み逃しているのがあるのではないか、もう一度読んでみたくなる文章があるのではないかと、気になって仕方ないのである。
ということで、むかーしの雑誌を開いていたら、こんな文章を見つけた。当時はまだ東大の大学院生だった東浩紀の「棲み分ける批評」(『Voice』平成11年4月号)という書きもの。なんと、9年も前の文章である。
それを今読んで、はたしてどんな意味があるのかという疑問は、とりあえず読んでみたという事実によって、とりあえず解消される。なぜなら、結構面白かったから。内容が的を得ているかどうかは別として。
発売当時に読んだかどうかは覚えていないけど、読んだ以上は何か形に残しておきたい。そういう考えで、ここに要約を残しておこう。
*90年代の文芸批評は、アカデミズムとジャーナリズムの二極化が徹底された
*90年代のアカデミズムは高度に専門化し、社会的効力を喪失する一方で、ジャーナリズムは社会的効力を志向することで知的緊張を失った
*前者の代表者が浅田彰らポストモダニズム批評家、後者が福田和也
*だが両者は対立するというよりむしろ、棲み分けによる共存をはたしている。しかし、それゆえに、両者の対立は溶解不可能である
*その棲み分けは同時に、知的緊張と社会的緊張を併せ持つ批評が成立し得ない環境を生み出している
*かつて日本の批評を一手に担った小林秀雄は、メッセージの強度(つまり知的緊張)は、メディアとの相互応答(つまり社会的緊張)なしには健全でいられないと考え、西田幾多郎の哲学をなじった
*だが、90年代という時代は、批評の多様性にその特徴があり、まずはそれを素直に受容すべき
*なぜこの棲み分けが起きているか。その第一の原因は、ポストモダンであるがゆえである。70年代末にリオタールがこの言葉を用いたのは、特定の新たな文化的モードに注目するためではなく、むしろ逆に、複数のモードが混在し、どれもが支配的になることなく並立しつづける文化的状況の到来を警告するためだったからである。すなわち、90年代は、ポストモダニズムの徹底化に他ならない
*いまや特定のモードが文化的先端を僭称することはできない
*メッセージの「意味」は現在では共有されない。その共有をささえるはずの意味づけの機能そのものが、この社会では細分化され、機能不全に陥っているからだ。メッセージの意味ではなく、メッセージの伝達の事実性が重要となっている
*批評文の「意味」に固執するアカデミックな批評家は流通可能性を捨てざるをえないが、逆に流通可能性を重視するジャーナリスティックな批評家は「意味」を無視せざるをえない
*棲み分けの第二の原因は、かつての文芸批評が特権的に占めた「思考のための日本語」、小林秀雄の言う「健全」な日本語の場所が存在しないことである。思考と日本語が分離しているのである。
*それゆえ、現代における批評の条件は、思考のための新しい文体の創造である。
*小林秀雄ら戦後の文芸批評家は、思考と日本語の融和に成功していた(ように見えた)のだ
*しかしながら、90年代のこの環境においては、小林秀雄の実践は成立しえない(独断的にしか成立しない)
*加藤典洋が典型で、加藤は日本の哲学に対する文芸の優位を主張しているが、批評の多様性の時代にあって、もはやそれは無効である
*加藤がとるべきは、古い文芸批評の語り口ではなく、アカデミズムとジャーナリズムを同時かつ横断的に説得できる別の新しい文体であるべきだった
* * *
以上、要約終わり。積極的に引用しているが、いちいち指摘していない。
この文章の疑問点は、
1. 福田和也がジャーナリズムの世界にいるという認識ははたして正しいのかどうか
2.アカデミズムがジャーナリスティック的効果をもつことがそもそも正しいのかどうか
3.日本にアカデミズムは存在しているのかどうか
4.小林秀雄、福田恆存、江藤淳、福田和也の系譜は社会的緊張及び知的緊張を保持していると思うがどうか
5.アカデミズムの左翼性が単に力を失って(たとえば国家の枠組みに依存しながら国家を所与のものとして考える思考ができない頑迷さ)、イデオロギー性のないアカデミズムが新たに登場してきていると云えるのではないか
6.ポストモダニズムが徹底した多様性の時代だとすれば、包括的な文体が登場しうるか、そもそも登場すべきなのか
なと。おしまい。これで心置きなく、この古雑誌を捨てられます。南無。
ということで、むかーしの雑誌を開いていたら、こんな文章を見つけた。当時はまだ東大の大学院生だった東浩紀の「棲み分ける批評」(『Voice』平成11年4月号)という書きもの。なんと、9年も前の文章である。
それを今読んで、はたしてどんな意味があるのかという疑問は、とりあえず読んでみたという事実によって、とりあえず解消される。なぜなら、結構面白かったから。内容が的を得ているかどうかは別として。
発売当時に読んだかどうかは覚えていないけど、読んだ以上は何か形に残しておきたい。そういう考えで、ここに要約を残しておこう。
*90年代の文芸批評は、アカデミズムとジャーナリズムの二極化が徹底された
*90年代のアカデミズムは高度に専門化し、社会的効力を喪失する一方で、ジャーナリズムは社会的効力を志向することで知的緊張を失った
*前者の代表者が浅田彰らポストモダニズム批評家、後者が福田和也
*だが両者は対立するというよりむしろ、棲み分けによる共存をはたしている。しかし、それゆえに、両者の対立は溶解不可能である
*その棲み分けは同時に、知的緊張と社会的緊張を併せ持つ批評が成立し得ない環境を生み出している
*かつて日本の批評を一手に担った小林秀雄は、メッセージの強度(つまり知的緊張)は、メディアとの相互応答(つまり社会的緊張)なしには健全でいられないと考え、西田幾多郎の哲学をなじった
*だが、90年代という時代は、批評の多様性にその特徴があり、まずはそれを素直に受容すべき
*なぜこの棲み分けが起きているか。その第一の原因は、ポストモダンであるがゆえである。70年代末にリオタールがこの言葉を用いたのは、特定の新たな文化的モードに注目するためではなく、むしろ逆に、複数のモードが混在し、どれもが支配的になることなく並立しつづける文化的状況の到来を警告するためだったからである。すなわち、90年代は、ポストモダニズムの徹底化に他ならない
*いまや特定のモードが文化的先端を僭称することはできない
*メッセージの「意味」は現在では共有されない。その共有をささえるはずの意味づけの機能そのものが、この社会では細分化され、機能不全に陥っているからだ。メッセージの意味ではなく、メッセージの伝達の事実性が重要となっている
*批評文の「意味」に固執するアカデミックな批評家は流通可能性を捨てざるをえないが、逆に流通可能性を重視するジャーナリスティックな批評家は「意味」を無視せざるをえない
*棲み分けの第二の原因は、かつての文芸批評が特権的に占めた「思考のための日本語」、小林秀雄の言う「健全」な日本語の場所が存在しないことである。思考と日本語が分離しているのである。
*それゆえ、現代における批評の条件は、思考のための新しい文体の創造である。
*小林秀雄ら戦後の文芸批評家は、思考と日本語の融和に成功していた(ように見えた)のだ
*しかしながら、90年代のこの環境においては、小林秀雄の実践は成立しえない(独断的にしか成立しない)
*加藤典洋が典型で、加藤は日本の哲学に対する文芸の優位を主張しているが、批評の多様性の時代にあって、もはやそれは無効である
*加藤がとるべきは、古い文芸批評の語り口ではなく、アカデミズムとジャーナリズムを同時かつ横断的に説得できる別の新しい文体であるべきだった
* * *
以上、要約終わり。積極的に引用しているが、いちいち指摘していない。
この文章の疑問点は、
1. 福田和也がジャーナリズムの世界にいるという認識ははたして正しいのかどうか
2.アカデミズムがジャーナリスティック的効果をもつことがそもそも正しいのかどうか
3.日本にアカデミズムは存在しているのかどうか
4.小林秀雄、福田恆存、江藤淳、福田和也の系譜は社会的緊張及び知的緊張を保持していると思うがどうか
5.アカデミズムの左翼性が単に力を失って(たとえば国家の枠組みに依存しながら国家を所与のものとして考える思考ができない頑迷さ)、イデオロギー性のないアカデミズムが新たに登場してきていると云えるのではないか
6.ポストモダニズムが徹底した多様性の時代だとすれば、包括的な文体が登場しうるか、そもそも登場すべきなのか
なと。おしまい。これで心置きなく、この古雑誌を捨てられます。南無。
by le-moraliste
| 2008-04-08 20:24
| 要約