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by le-moraliste
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北原白秋「邪宗門秘曲」

音楽と云えば洋楽、それもHR/HMしか聴かない。昔、音楽を聴き始めた頃は邦楽もよく聴いていたけれど、そのほとんどがロックだったため自然な流れでアメリカのロックに関心は移り、現在、邦楽は全く聴かない生活となった。

その理由はいくつかあって、ひとつは邦楽の歌詞の幼稚さ。あまりに無邪気な言葉が大の大人によって綴られては当然、気持ち悪いものを感じないわけにはいかない。一方、洋楽であれば歌詞は英語であるのだから多少、内容に乏しいものであっても゛音楽的″に楽しめたりする。いずれにせよ、日本の楽曲の歌詞はあまりに幼稚だ。

そう私が考える根拠は、それなりの判断基準があるからである。例えばボードレールの詩、それを一片でも読んでいれば、詩とはいかなるものか、かくあるべき詩とは何かが誰でもわかるだろう。多分に狡いことかもしれないが、ボードレールの詩を愛する私には、邦楽の歌詞はとても詩とは云えないのだ。詩を構成する言葉のひとつひとつの未熟さ、語られる思惑の幼児性。人は読んで気恥ずかしくならないのだろうか。

なにもペダンティックにボードレールを持ち出さなくても、日本には結構素晴らしい詩がある。高村光太郎の詩もそのひとつだろう。『週刊文春』6月8日号の高島俊男「お言葉ですが・・・」を読んで知った北原白秋の詩もまた、カッコイイ詩の代表だ。(なるたけ旧字体を使用。)
われ思ふ、末世の邪宗、切支丹でうすの魔法。
黑船の加比丹を、紅毛の不可思議國を、
色赤きびいどろを、匂鋭きあんじやべいいる、
南蠻の棧留縞を、はた、阿剌吉、珍酡の酒を。

目見靑きドミニカびとは陀羅尼誦し夢にも語る、
禁制の宗門神を、あるはまた、血に染む聖磔、
芥子粒を林檎のごとく見すといふ欺罔の器、
波羅葦僧の空をも覗く伸び縮む奇なる眼鏡を。

屋はまた石もて造り、大理石の白き血潮は、
ぎやまんの壺に盛られて夜となれば火點るといふ。
かの美しき越歴機の夢は天鵝絨の薰にまじり、
珍らなる月の世界の鳥獣映像すと聞けり。

あるは聞く、化粧の料は毒草の花よりしぼり、
腐れたる石の油に畫くてふ麻利耶の像よ、
はた羅甸、波爾杜瓦爾らの横つづり靑なる假名は
美くしき、さいへ悲しき歡樂の音にかも満つる。

いざさらばわれらに賜へ、幻惑の伴天連尊者、
百年を刹那に縮め、血の磔脊にし死すとも
惜しからじ、願ふは極秘、かの奇しき紅の夢、
善主麿、今日を祈に身も靈も薰りこがるる。
                 北原白秋「邪宗門秘曲」
意味はわからなくても日本語のリズムのよさは誰でもわかるし、言葉のかっこよさもずば抜けている。詩は文語体が最良だが、現代語でも不可能ではないはず。そんな詩を読んでみたいもんだ。


ところで。おなじ高島氏の連載で知った真実。ご多分に漏れず「予言」と「預言」は別物だと思っていたのだが、なんと、同じ言葉だったとは。「豫」の簡略体が「預」と「予」であるから、「予言」と「預言」を別の意味にとるのは全くのデマだとか。辞書も間違っているらしい。これには驚いた。
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by le-moraliste | 2006-06-26 04:53 | 雑誌