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by le-moraliste
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失われる風景――森本哲郎『懐かしい「東京」を歩く』(PHP文庫)①

読んでからだいぶ時間が経ってしまったけれど、坪内祐三「文庫本を狙え!」『週刊文春』連載)で紹介していて読んでみたくなった森本哲郎『懐かしい「東京」を歩く』(PHP文庫)について(原題は『ぼくの東京夢華録』(新潮社))。

なんで経済関係が主体の「PHP文庫」に文庫化されたのだろうと思ったが、PHP文庫の紙の柔らかさに驚きつつ(読みやすかった)、じっくり読ませてもらった。東京で80年近くを過ごしてきた著者による東京回顧録という体裁で、著者の関心からか(朝日新聞学芸部出身)、文学をひとつの軸として現在と過去の東京の都市風景を描いている。例えば、戦後まもなくの廃墟となった東京で大学在学中に雑誌『VAN』の編集に携わる過程で、多くの若い文学者たち、荒正人平野謙埴谷雄高花田清輝福田恆存加藤周一などとの交流を重ねていった想い出が語られる。このあたりが私には一番面白かったのだが、この本にとって重要なのは、その雑誌の編集部があった銀座の交詢社ビルのことである。

「交詢社」というのは、明治十三年(1880)、福沢諭吉によって設立された〝社交クラブ″であり、その年の一月二十五日、南鍋町に本拠となる建物がつくられたという。南鍋町とは、現在の銀座五丁目から七丁目にかけての地域であり、以来、今日まで「交詢社」は、長い〝風雪″に耐えてきたのである。
交詢社にあった『VAN』編集室に雑誌『近代文学』の荒正人がやってきて、研究会の場所の提供を申し出たのが彼らとの交際の始まりらしいが、現在もこの交詢社ビルが残っているのは、東京の街の風景の無秩序な変貌に苛立つ著者にとって、唯一の救いなのかもしれない。それほどに、交詢社ビルを語る著者の言葉には慈しむような感傷が込められている。

東京は変わった。東京出身ではない私でさえ、数年過ごしていれば、その変化の度合いが実感できる。東京で「美しい街並み」と云えば、もっぱら硬質のビルや人工的な街路が作り出す現代的な風景を指している。だが、東京の長い歴史を振り返ることは、過去の東京を思い出させるものが年々減少しているため、不可能になりつつある。過去の東京の街並みに「美しさ」を感じる著者のような人たちにとっては、もはや現在の東京に想い出を誘う風景というようなものはほとんど見当たらない。例えば、明治時代に活躍した文学者の旧居やその作品にまつわる場所を明示することは少なく、そもそもそれらが残っていない場合が多い。欧州の都市が文学者の旧跡を保存し続けているのとは対照的である。

なぜ、東京は、いや日本の都市は、過去を保存しないのか――それが著者の最大の不満であり、本書の執筆動機となっている。

大震災、大空襲によって、東京は灰燼に帰したわけだから、そのたびに、歴史を抹殺されたのは、いたし方ないとしても、再建にあたって、どうして過去を、いともあっさり捨て去ってしまったのであろう。/ぼくはポーランドの首都ワルシャワで、あの窮乏のさなか、市民たちがたった一枚残されていた地図と絵とを参照しつつ、昔通りの街並みを立派に復元したのを見て、感動を禁じえなかった。ウィーンにしても同様である。昨年、ぼくはウィーンの『文学地図』を手にしつつ、毎日、文学者の旧跡を訪ね歩いたものだ。
そして、著者が一応の結論付けとして書いているのは、この文である。

日本人は、都市全体を美しく保つ、ということに、何の見識も、美感も持ち合わせていないのである。
それはそうかもしれない。では、なぜ、日本人はそのような見識や美感を持てないのか。フランスの地理学者で日本でも教授をしていたオギュスタン・ベルクは、『日本の風景・西欧の景観』(講談社現代新書)でこう述べている。

パリにおいて伝統的な都市風景が存続しているのは、他の多くのヨーロッパの都市の場合と同様に、一般にそのような風景が歴史記念物に分類されたからにほかならない。これはすなわち一種の保存のための防腐装置のようなものであり、保存地域の境界の外、特に郊外で観察される異質な形態の跳梁による物理的な風景の破壊のように、結局のところは風景の死なのである。
欧州の都市には「歴史記念物」が非常に多い。なんでもない建物でも、それが数百年の月日を閲していれば、保存の対象となる。有名なことだが、ドストエフスキー『罪と罰』のラスコリーニコフが住んでいたと思われる部屋なども、小説世界の話にもかかわらず、現在訪れることができるのだ。だが、ベルクは森本哲郎とは違って、都市風景を保存するだけでは風景は生きることはないと云う。というのは。

ヨーロッパに都市風景を再生させるものがあるとすれば、それはこの種の防腐装置を行なうことではないし、ましてや何人かの論者が強く勧めるように都市郊外の混沌(カオス)を真の風景として受け入れることなどでもない。再生を可能にするのは、(近代主義とは異なり)都市のメゾコスモスの統合という基本的な原則を尊重する新たな形態の創造である。
メゾコスモスとは中宇宙のことであり、自然や国家単位のマクロコスモス(大宇宙)と私的空間としてのミクロコスモス(小宇宙)の中間に位置する、公共の空間のことを指す。ベルクは日本ではこのメゾコスモスが欧州の都市と比べて著しく軽視されていると云う。それは、城壁で囲まれた都市としてメゾコスモスを歴史的に継承してきた欧州とは異なり、日本の都市には郊外がないからである。日本では「都市が田園のなかに少しずつ溶解していく現象が見られるだけ」であるために、都市形成において秩序が意識されないのだ。拡大し続ける都市には主体の広がりしかなく、そんな主体は客体との線引きをうまく行なえずに主体の客体化を不可能にする。それによって、自らの無秩序な進出を自らの力では防ぐことができなくなるのである。

メゾコスモスをさらに詳しく述べれば、「景観におけるコンテクストのなかの統合を尊重するという観念」(ベルク)のことである。だがコンテクスト重視は「建築を変えることで社会を変えようとしていたモダニストたちの権威的な啓蒙主義」に重なり合うことがままある。パラダイム設定による景観創造は現代人の過剰な主観性・個人性に基づけば、けして成功することはないだろう。「環境をイメージに同一化すること(およびその逆)は美しい風景を生みだすかもしれない。しかしそこから醜い風景や不定形の風景が生まれることもあり得る」。そこでベルクが提案するのは「造景」の観念である。

伝統的な人間は自身の主観性にもてあそばされていて、また近代人は主観性をむなしく否定しようと試みたのに対し、造景の時代の人間は自身の主観性と事物の現実との関係を意識的に調和させ、したがって環境に向けた自身の視線を客体化することで風景を管理できるようになるのである。
主観性の否定も、否定する主体の主観性をも否定することができなかったことが(ポスト)モダニズムの失敗であった。それはしばしばアイロニーに堕した。それら伝統と近代の方法を乗り越えるすれば、その方法は、主体と客体の〝視線″=〝関係″を客体化することしかあるまい。人間には美しいものを創ろうとする根源的な欲望がある。だが同時に、人間は環境によって作られる存在でもある。この美学と生態学の調和させること、つまり自然と人間の関係を双方の主体的な〝視線″ととらえることそれ自体によって、風景のコンテクストが自然と浮かび上がるのではないか。それは、芸術作品とでも云える都市の景観を生み出してくれるだろう。

以上、抽象的な言葉になってしまい、では具体的にはどうすべきなのかという疑問が残る。また、ここで「歴史」はどう関わっていくのか。それらについては、別の機会に考えてみたい。
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by le-moraliste | 2005-07-02 03:53 |