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by le-moraliste
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古いCDを引っ張り出して、なぜかDVDデッキで再生しながら読書なりネットなりをする最近(CDオーディオが壊れてウン年なのだ)。発売同時はさほどよくないと思ってそれから全く聴かないでいたDreamTheater『Falling Into Infinity』というアルバムを偶然DVDデッキでかけてみたら、これが意外なほどいい曲ばかりですっかり毎日再生しつづけている。普段、見向きもしないアルバムをたまには再生して生き返らせてみるのも面白いかもしれない。

今月読んだ本をとりあえずまとめ。まず有島武郎『小さき者へ/生まれ出づる悩み』(新潮文庫)。母親を失った自分の子どもたちへおくる手紙という形で有島の優しい言葉が綴られる「小さき者へ」と、(実在したのかどうかよくわからないが)有島が昔出会った、漁師を生業とする画家志望のある青年の生活を小説に仕立てた「生まれいづる悩み」という両編。

有島の小説は私小説的だと云われるらしいけれども、たしかにこれら短編は有島個人を表に出した、私的な文章であろう。そして、有島の文章はとても美しい。と、ここでもう内容を書く気にはなれず、ただ、解説の本多秋伍の文章のひどさだけ記す。何を云いたいのかさっぱりわからないほど、ひどい。主役が有島ではなく本多となってい、本多がただ自分のことを語りたいだけの文章である。

もう一冊読んだものが木全賢『デザインにひそむ<美しさ>の法則』(ソフトバンク新書)。ソフトバンク新書というそれ自体困難に陥っていそうな新書であるが、簡潔にデザインの法則を紹介しているので読んでみた。黄金比、三分割法、白銀比、ピクトグラム、シンメトリーの安定性、対応付け、アフォーダンス、角アール、面取り、ハマグリ締めなどなどが参考になったけども、それ以上のものは何もない。モダンデザイン、インターナショナルデザイン、ユニバーサルデザインという流れも本来は面白いはずの潮流なのだろうけれど、著者にかかればあまり関心を誘わないタームとなってしまう。問題は本書の体裁にあるかもしれないが、なんら深みのない新書であった。(最近の新書の充実ぶりからすればかなり期待はずれである。)

で、いま熱心に読んでいるのが鈴木謙介『カーニヴァル化する社会』(講談社現代新書)。私は本を読むときいつもカバーをはずして真っ裸にして読む習慣があって、本書も例外なくカバーをはずしてみれば、全体が惜しげもなくピンクとなっていた。それはちょっと・・・。

現在半分ぐらい読んだところだが、なかなか面白そうである。ネットを中心とした若者の「祭り」現象(つまり、何でもかんでも盛り上がりたい癖)を分析しながら団塊の世代にはとても書けない若者論(なのかな?)を書いているようなので期待して読み進んでいるが、最初がニート問題を扱っていてわかりにくい文章のせいもありちょっとつまらない。これから大いに盛り上がっていくことを楽しみにしたい。
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by le-moraliste | 2007-03-30 02:39 |

自由の棘

写真のアップロードをほぼ諦めて、本を読んでみよう(四六時中何かの本を読んではいるけど)。

何年ぶりかに読み返す福田恆存『人間・この劇的なるもの』(中公文庫)。私が最も影響を受けた本であり、かつまた最も読み応えのある評論。赤線だらけの文庫本を紐解けば、思い出される福田恆存の文章が厳しく自分に迫ってくる。

「愛憎は裏切られ、憎しみは調停され、悲しみはまぎらされ、喜びは邪魔される。相手がなければ愛情も起こらぬが、相手があるがゆえに、愛憎は完成されない」、そんないらだたしい日常生活を送ることに諦めに近い思惑を擁きながら、密かにその諦めさえも「行けるところまで行きつくことを望んでいる」このどうしようもない人間というもの。

本質的に自由でありたいがために、「自己の宿命のうちにあるという自覚」を掴みとろうとする不思議な生態。しかるべく到達した現実を味わうために、私たちは自由を一度捨てておいて、その捨てた自由を今一度拾い、その棘のある感触に恐る恐る痛みを感じるのだ。

「限りない自己弁護」は止むことを知らないが、この痛みこそは現実なのである。「ちょうど画家が素描において、一本の正確な線を求めるために、何本も不正確な線を引かねばならぬように」、自己弁護の螺旋をくぐりぬけながら私たちはいつまでも、死の瞬間が訪れるまで、自由の棘を作り続けるのだ。

適当に書いたが、最後の「画家が素描において…」の一文は、忘れられない文章である。「一本の正確な線」とはあまりに狭くて不自由なものに思えるが、実はこの一本の線こそが自由を実感させるなんて、悲しいことだろうか。それとも喜ぶべきことだろうか。
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by le-moraliste | 2007-03-13 05:25 |

早春の梅の花

700万画素の多少いいデジカメを購入しているのだから、写真もアップしてみよう。

花の写真を撮る趣味は本来ないのだけれど、街中を歩いているとき、無意識に何かを眺めるのは誰でもあることで、とりわけ美しいものに目を捕らわれるはごく自然な姿勢だと思う。だからと云って、その美しさを写真におさめようというのは、意識的な、自覚的な行為である。

意識が作用しはじめるのは、そこに何かの必然性を取り入れたくなるからだ。例えばこの場合、写真を撮り、その撮った写真を誰かに見せ、相手の関心を惹こうという筋書きが見えてくる。自分が鑑賞するためだけに写真を撮ると云う人も、その実は、花の写真を鑑賞する自己の美しさをひそかに味わい、次の何かを期待していることだろう。その″何か″は、写真を撮ることから必然的に導き出される(と当人が考える)成果を疑いなく指している。写真を撮るということは、意識が淫らに露呈する恥ずべき行為かもしれない。……

2月中旬を過ぎた頃のとある公園。暖かすぎて既に満開となった梅の花を撮ってみる。花の写真を撮ったことはないので初めての挑戦だが、接近した写真の方は結構綺麗に写っているように思われる。全体を撮った写真は多少ボケでいるようだ。どちらも補正は一切かけていない。今後いろいろ試してみよう。

・・・・・・って、全然アップロードがでけへんがな。このポンコツブログめ。(後でやってみる)
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by le-moraliste | 2007-03-10 21:03 | メモ
良い噂は一度も耳にしたことのない黒川紀章だが、こんな才能も秘めているようだ。まったく知らなかった。
僕はいつも、明け方三時にこれ(日本刀)を抜いて、自宅近辺を走ってますよ。刀を抜いて着物で走るという″実戦″の訓練を昔からやっているんです(『週刊文春』3月8日号)
かの近藤勇が使用した(本人談)とされる日本刀を「日本文化デザイン会議」の場に持ち込んでしまった黒川氏が明かす、謎の日常。持ち込むことそれ自体には問題はなかったようなのだが、どこかで見たことのある、強い既視感を覚えずにはいられない黒川氏のこの″訓練″。

つまりは、角川春樹。以前にも紹介した角川氏の超絶した日常と完璧な類似性をもつ黒川氏の″訓練″は、角川春樹がそうであったように、黒川紀章本人の超越的人間性を伺わせるに十分である。氏が「人間の領域を超える」のも時間の問題であろう。(まもなく始まる都知事選挙戦で、その一端が知れるに違いない。)
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by le-moraliste | 2007-03-05 03:49 | 雑誌