本・雑誌・ニュース・頭の中のメモ・メモ・ひたすらメモ


by le-moraliste
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

カテゴリ:映画( 8 )

芥川賞と『Always』

一ヶ月も間を挟んでしまったので、何か書こう。常時チェックしてくれている人は、おそらく皆無。閲覧者のほぼ全てがグーグルか何かの検索で一瞥するだけにもかかわらず、だ。

お盆に実家に帰り、たくさんの本を抱えて読むのを愉しみにしていたのだが、例によって、姪っ子たちとのバトルで疲れきるだけであった。そんな数少ない暇な時間で読んだものは、せいぜい『週刊文春』と『文藝春秋』くらい。

            *          *          *

今月の『文藝春秋』には芥川賞受賞作が全文掲載されていて、諏訪哲史「アサッテの人」というのがそれだが、私は全く読む気にならないので選評だけを眺める。しかも慎太郎のものと山田詠美の短文のみ。

慎太郎は常のように氏自身の文学観から候補作をすべてなで斬りしていた。いわく、表題の適当さはもういい加減にしてもらいたい、と。確かに。でも、だいぶ前の芥川賞受賞作、川上弘美の『蛇を踏む』を当時選評でこき下ろしていた一方で、川上弘美のその後の活躍はご存知の通り。なにも慎太郎の文学観を否定するわけじゃないけれど、必ずしも慎太郎の考え通りにはこの昨今の文学界は進んではいないということである。もっとも、『蛇を踏む』をはじめ、川上弘美の小説を私は一篇も読んでいないので、私にはどうとも判断できません。

同じく選評で山田詠美のを読んでみたのは、ただ選評の最後にあって目についたから。で、驚いた。受賞作を評して最後に「この受賞が、作者の<アサッテ>になってくれたら、嬉しいな」。

こっちこそ、いい加減にしてもらいたい。なんだその気の抜けた文章。こんなもので、選考委員一回100万円もらえるとは。

            *          *          *

子供たちに合わせて映画『西遊記』を観た。主演の・・・(名前がでてこない)、 そうだ、香取慎吾の演技下手には目を背きたくなるけど、子供たちの孫悟空= 香取慎吾人気はすごかった。個人的にはウッチャンに注目していたけれど。

王女役の多部未華子がいい演技をしていたと思う。存在感もあるし、表情もよかった。CMではよく見かける子だが、これでようやく名前を覚えることができた。今後に期待。

            *          *          *

家に戻ってからは、なんだか映画を観たくなったので、外出途中で思わず映画館に立ち寄る。『トランスフォーマー』か『オーシャンズ13』か迷ったけれど、時間の都合で後者に。

やはり一作目(『11』)がよかった。アンディ・ガルシアがコミカルな立場にたたされていて多少面白かったが、やはりホテルオーナーとしての風格を感じさせる演技を見たかった。ストーリー上、仕方なかったかもしれないが。

まだ観たりないので、DVDを借りてきて『Always 3丁目の夕日』を自宅で観た。かなり流行に遅れているけれど、ようやく観る気になった。確かに、噂に違わぬ面白さであった。

玄人筋からも評判がよかったので安心して観ていたけど、(私自身は知らない)昭和30年代の日本の街角の様子が見事に描かれていたと思う。涙を誘う展開がありがちではあるが、そんな物語も実際にあったろうと思わせる時代であるのは確か。みんなが上を向いていた時代だったのだろう。特に、目立った建物のない地平に東京タワーが聳える画は、なんとも云えない趣きがある。高層ビルなどなかった当時の東京から、今のビルが林立する東京へ、何がどう変わっていったのだろう。
[PR]
by le-moraliste | 2007-08-17 20:08 | 映画
映画『ダ・ヴィンチ・コード』が公開されて結構な人が入っているようで、原作をそこそこ面白く読んだ私も観てみたい気はするのだが、実際に観た人の感想をいくつか読んでみると意外に評判がよろしくない。2時間という時間に収めきれなかったのか、映画演出自体の問題なのかは知らないけれど、期待する映画というものはほぼ確実にその期待を裏切られるというセオリーでもあるのか、それもまた仕方あるまい。

逆にそのような期待をまったくもたずに観る映画にはときどき目が覚めるような傑作もあるわけで、先日借りて観たDVD『フォーン・ブース』はまさにそれ。ジョエル・シューマカー監督、コリン・ファレル主演のそれは私が今までに経験したことのないようなタイプの映画で、ほぼリアルタイムの時間の流れで電話ボックスの中でのみ「事件」が進行していくサスペンス。見えない「敵」と命を賭して語り続けるファレルの演技が素晴らしく、特に最後の「告白」の場面は唖然とするほどかっこよかった。

現代に溢れる、嘘で身をかためた浮薄な男を「外」から批判するのはよくあることだけど、その男の心理を「内」から丹念に追い続けることは結構難しいこと。それを見事に鑑賞させてくれたこの映画は貴重である。

映画ばかり観ていてもよくないわけで本も当然読んでいて、原武史・保坂正康『対論 昭和天皇』(文春新書)と筆坂秀世『日本共産党』(新潮新書)。最近新書ばかり読んでいるなと反省の意識もあるが面白いものが多いのだから仕方ない。

前者は近代天皇史に独自の視点を持ち込んで興味深い議論を続ける原武史が昭和天皇を語るということで読み始めたが、その途中で筆坂氏の本を手に入れてしまい、これがなかなか評判がよろしいので前者を放っておいて後者を読んでいるという始末。

共産党批判はだいたいが外部の人間からなされるものであるから、元最高幹部のひとりであった筆坂氏の筆致に期待している。途中まで読んだ印象では、筆坂氏もまだ共産党の存在意義をわずかだが捨てきれないようで、しかしそれだからこそ見えてくる視点もあるかもしれない。つまり、完全に否定する人であれば否定する理念の一片の妥当性(どんな理念にもそれなりの根拠があるもの)にさえ目もくれないが、人生の大半を共産党に捧げた筆坂氏の微妙な立場からは、共産党の不可能性と同時に日本社会の不可能性もほのかにうかがい知れるかもしれない。今読んだところでは、そういう期待を感じさせる内容であることは間違いないだろう。単なる暴露本ではない一冊である。
[PR]
by le-moraliste | 2006-05-29 03:40 | 映画

やはり映画だね

最近、時間がある程度確保されるのでできる限り有効に使おうと(とは云え、ひさしぶりにゲームなんぞもしてしまったが)、例えば映画のDVDをよく観る。昨日公開された『ダヴィンチ・コード』もそのうち観ることになるだろうけど近頃のDVDの充実ぶりは目を瞠るほどなので、結構気軽に、しかもなかなかの作品を見つけられて、それらを借りるわけである。

今週・先週借りたものは。
①『パッション』
②『オーシャンズ12』
③『インファナル・アフェアⅠ』
④『インファナル・アフェアⅡ 無間序曲』
⑤『インファナル・アフェアⅢ 終曲無間』

①はキリストの拘束から十字架刑までを淡々に映像化したもの。キリストがなぜ偉大なのかについては一切触れられていないので、より深い背景を知らないとなぜキリストが囚われたのかはあまり理解できない。マグダラのマリアを終始、キリストの傍におかせていたのは、なにか特別の理由があるのだろうか。知らんぷりするパウロが痛ましい。

②は『11』が面白かったので観たわけだけれど、最後のトリックが「えっ、そんな・・・」というものだったので、いまいち納得できない。

③~⑤については、もともと③を観ていたので、いい機会だからと(つまり暇だからと)まず④を観た。③の物語を裏付ける物語の展開なので多少説明的ではあるが、若々しい役者2人の演技が思ったよりもよかった。そして④を観たあと、どうしても思い出せないことがあり、また③を借りたわけで。その流れで⑤を観たのである。⑤では現実と妄想が交錯してわかりづらいところもあり、なんとも云えないが、「善人」になろうという感情を抱き始めながらも他方で確実に自分の地位を安全にしなければならないラウの複雑な生は、人間らしく、興味深く思った。
[PR]
by le-moraliste | 2006-05-21 12:52 | 映画
例によって、昼夜逆転の生活に戻り――おおよそ朝から昼にかけて寝床につき(寝る前に読書を忘れないのでその行為がまた裏目にでるわけで)、布団から起きるのは昼から夕方前にかけてという生活を、また、してしまっているわけであるが、自然に寝ようと思い、つまり眠気が訪れるのをじっと待っていても、眠気を感じ始めるのが普通の人よりも相当に遅いため(通常、人が16時間くらいで眠気を意識するのに対して、私は20数時間たたないと自然な眠気はついぞやってこない体質なのだ)、どうしても寝る時間が毎日少しずつずれていくのは仕方なく、かといってクスリにはあまり頼りたくない。

よく知られたハルシオンでさえ効かなくなった体質。より強力なロヒプノールというクスリでようやく効果を期待できるそんな体質から逃れられないのはとても辛いことなのであるが、もうできるだけクスリの力を利用したくない思いがあって、そうして何らかの手段を考えた挙句、寝る前の読書(目を疲れさせるため)を毎日試みているけれど、場合によっては寝オチすることもできてもむしろ結構長く(だいたい2時間)文字を追い続けるはめになり、読書効果に疑問の余地はなくないとも思うが、他の手段を考えることすら億劫であるしそれはそれで貴重な読書時間の確保ともなっているのでやめるつもりはなく、ああ、結局寝られない夜(朝)を過ごす日が積み重なっていく。

昨日観たのはドラマ『永遠の仔』のDVD。後半の6話である。小説がどのような幕の閉じ方をしたか、あまり覚えていないのはいつものことであるが、最終話まで観終えてようやく思い出したことが多かった。改めて原作の最後のほうを少し読み直してみたりして、こういう物語だったかと多少ボーっとしてみる。なぜ、優希は梁平と生きることを笙一郎の死後、選ばなかったのか。「救い」を求め続けた彼らが、お互いしか知りえぬ弱さを一緒にいることで慈しみ合う生活を選ばなかったのか。笙一郎の「救い」は死によってしか贖われなかったのかもしれないが、彼らふたりの「救い」は、互いの優しさによってしか得られなかったのではないか――そんな疑問は当然起こりえよう。けれど、弱さ(それは第一義的に本人たちの責任ではないがかといって彼らは無謬と云えるほど無謬ではない)を慰めあうこと(一緒にいるそのことだけでそうなる)では本当に救われることはないと優希が知ったのだろうか。確かに別れてからの梁平の素顔には生きるという意志を十分に感じられるほどに明るさが浮かんでいた。

しかし、彼らふたりは、自らの忌まわしい過去だけでなく、肉親の死や笙一郎の罪をも背負ったことにならないか。そんな重荷をひとりで支えきれるのだろうか。できるのだとすれば、いや彼らにはできるのかもしれないが、例えば私のような人間には不可能のように思える。ようやく耐えられるようになるまであまりに長い月日がたっているだろうことは想像できるのだ。弱さを自ら告白する必要はない。そんな相手を見つけなくてもいい。弱さに耐え続けるための安らぎを、いつも感じさせてくれる生活――それを一緒になって造り続けてくれる人さえいてくれればいいのだ。

ドラマ自体は非常によくできていると思う。原作では感じきれなかった温かみがそこにはあった。「救い」という言葉が何を意味するのかがよくわからないという点は原作と同じであったが、しかし、それを仄かにうかがうことのできる映像だったと思われる。彼らの云う「救い」とは、生きていいという許しのことだ。人間は、どんな暗く重いものを背負っていようが、生きることが認められないものなどいはしないということ。生きるだけで評価される価値を実存的に有しているということ。しかし、私には、それはまだ理解しえないものだったりする。
[PR]
by le-moraliste | 2006-05-08 08:46 | 映画
家のドアを開けた途端、尋常じゃない突風が襲ってきたのに驚きながらも、今日は久しぶりに演劇を観に行くので普段とはちょっと違う気分で足を前へ進めていった、と書けばいかにも順風満帆、気分爽快、少々衒った文化的な心根のように見えるが、実は寝坊して慌てて家を出たのが真実だったりするわけで、人生、浮いたり沈んだりの繰り返しだと何度も実感してきた諦めを今日もまた、覚えきれないその何度目かとして、確かにやってのけるのがまた人間。

今回は劇団昴の『チャリング・クロス街84番地』(ヘレーン・ハンフ原作)を観劇するためだけど、わざわざ巣鴨近くの千石まで足を運んできたのもまた何度目になるだろうかと、それでも何ヶ月に一遍くらいのダイムラグがあればちょうどいいくらいの楽しさもうまれ、そうして、そう、もう何年通っただろうか、今日は半年ぶりくらいなので、そしてこの劇場はまもなく取り壊されるという現実にほだされ、モノに思い出を頼りやすい私は、失われるモノをこの手で慈しみたくなる温かな気持ちを抱いていたがゆえ、演劇そのものがいつもよりいっそう素晴らしいものになった。芝居はとても愉しかった。

主演の望木祐子さんのキャラクターは最高、あれを演じきれるのは彼女しかいないだろう(あるいは彼女だからこそのあのキャラクター)と、家で、さっき観たばかりの芝居を思い出してなおさらそう思い、また牛山茂さんのシブサは相変わらずほれぼれするほどで、朗らかさと暗さの使い分けが絶妙だと改めて思い直し、そして今回はセリフがなかった(・・・)上領幸子さんの笑顔にまた出会えることができたことを少しく幸せに思うのだった。あと数少ない昴の演劇。なんとかして全部観に行こうと思うのだった。

で、昨日観たDVDは『ターミナル』。アメリカン・ユーモア満載だが、これもアメリカンなオチがちょっと物足りない。本国アメリカでは、ユーモアを主体とした宣伝を試みた挙句、興行的にイマイチを記録してしまった一方で、日本での宣伝は日本人の女性が作った悲劇性をカラーにしたオリジナルのCMが功を奏し、見事大ヒットとなったという逸話を耳にしたけれど、いずれにせよユーモアもトラジディも私には中途半端に感じてしまい、特別いい映画だとは思わなかったというのが感想。

今日、電車のなかで読んだ本は太宰治『晩年』。続きからで、特段、記すことなし。あと、池袋で購入した雑誌『en-taxi』も読んだのを思い出した。久世光彦追悼文、いいものばかりだった。特にリリー・フランキーのが。フランキーと云えばまた思い出したのは、彼の母・ママンキーの思い出を綴った『東京タワー』を昨日読み終えた。大阪弁に近い言葉で記されているからか、いやもっと大きな何かが、非常に感動させた。それについてはまた後日。
[PR]
by le-moraliste | 2006-04-04 00:35 | 映画

『シカゴ』

DVDで映画『シカゴ』を観た。アカデミー賞をとったような記憶がある作品なので期待したが。

ミュージカルはだめだ。私には違和感が先にやってくる。映画では科白に表しえない心理を様々な手法で表現しようとするけれど、『シカゴ』はミュージカルをもって試みた。『ダンサー・イン・ザ・ダーク』同様に、その演出は面白いとは思うが、どうしても馴染めないのだ。途中で飽きてしまう。(リチャード・ギアがレニー・ゼルヴィガーの腹話術をするシーンは傑作だけど。)

素直に楽しめないのはなぜだろう。ミュージカルの文化に自分が棲んでいないからだろうか。それも一因であろう。でも、と考えるのは、自分が科白に表れない心理を、このような形で知りたいと思わないからだろうか。小説のように地の文が利用できない以上、なんらかの手法が必要だろうが、映画においては不要なのではないかと思える。

映像という他にはない虚偽があるのだから、それで満たすべきではないか。ミュージカルは舞台がふさわしいのではないか。と、素人である私は思うのだった。
[PR]
by le-moraliste | 2006-03-29 00:07 | 映画

『ローレライ』・・・。

今日観たDVD。

①映画『ローレライ』(樋口真嗣監督・福井晴敏原作)
②TVドラマ『永遠の仔 第2巻』(天童荒太原作)

①は救いがたいほど駄作。リアリティも言葉の力もない映画。秘密索敵兵器「ローレライ」の本質が女性の超能力だなんて、荒唐無稽すぎる。CGの多用も、技術の稚拙さのため、嘆かわしいほどに迫力感を演出できないでいる。期待していただけに、それだけに、失望感は深い。

②は傑作。と云えば云いすぎかもしれないが、良作であることは間違いない。まだ6話までしか観ていないけど、原作を読む限り、ここからが観どころである。ちょうど、息子が母を家もろとも焼き殺してしまったところ。ちょっと拙速すぎる展開の流れだが、それもまぁ仕方あるまい。
[PR]
by le-moraliste | 2006-03-27 05:12 | 映画
あけましておめでとうございますだなんて挨拶は失礼させてもらい、年末は実家に帰っていた私は自由な時間がほとんどなかったけれど、その少ない時間を利用して借りたDVDを観ていた今年の正月。

特別目的があって借りたわけじゃないが付き添いでレンタルビデオ屋に足を運んだとき、目に飛び込んできたのがアルフレッド・ヒッチコック監督作品『鳥』(The Birds)。うちの近所のレンタル屋では置いていなかったため探したときもあるのだが半分あきらめていたこの名作を偶然といえば偶然観ることができたのだ。(それにしても新PCは快調そのものだ。)

あらすじは書くまでもなく、ある街に鳥の大群が押し寄せ突如不可解にも人間を襲うサスペンスなのであるが、1963年公開のこの映画には当時としては画期的であるらしい撮影技術が用いられていて、CGの発達した現在の映画を素直に愉しむ私などは処理の荒さが気になる一方で、それでも゛鳥の大群″の怖さは実感できる映像ではあった。なかでも最後の場面、一家が車で鳥の群れの中を静かに走り去っていく情景は、あとで知ったことだが多数の合成技術が利用されており、それとは一見わからない見事な映像であった。

DVDの特典映像も面白かった。ヒッチコックの娘や主演女優のティッピー・ヘドレンの生声を聴くことができたから。そのティッピーがヒッチコックの映画理念を語っていた、その理念、「観客を登場人物よりも先に歩かせる」という一節が印象に残った。それがサスペンスの鉄則なのである。また、蛇足だけれど、映画の登場人物で最も美しいと思ったのは、スザンヌ・プレシェット(↓)である。
d0043538_1841793.jpg


もうひとつ、DVDで観たのは『女王の教室』。第一話、第二話が収められている。『女王の教室』は最終回を観逃していたためそれを観たいと思っていたにもかかわらず、残っていたのは最初のコレのみ。けれど、第一話は未見のため「ま、いいか」と借りてみたわけである。やはり面白かった。子どもの醜さと大人の醜さが同時に見られていいぢゃないだろうか。

忘れていたのだけど、レンタルVHSで『永遠の仔』も観たのを思い出した。これも第一話、第二話のみだが、なかなかよいドラマである。天童荒太の原作を読んでいるが、テレビドラマ化されていたのは知らなかった。かなり前らしいけれど、続きが観たい。さて、近所のどこに置いてあるだろう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日の名言

「ほかの人のドラマを観ないということもあるんでしょうけど、僕は自分が作ったドラマで泣くんですよ」久世光彦『週刊文春』1月5日・12日新年特大号)

「私が泣いたテレビドラマ」という特集で各著名人がテレビドラマ一本ずつ紹介しているのだが、自分が演出したドラマを提示しているのは、久世氏ただひとり。面白いぢゃないか。ちなみに『夏目家の食卓』というドラマを演出して泣いたらしい。
[PR]
by le-moraliste | 2006-01-04 18:53 | 映画