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by le-moraliste
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カテゴリ:雑誌( 16 )

岸田夏子と劉生と

今月号(7月号)の『文藝春秋』の「同級生交歓」を読んでいたら、東京芸大付属高校同窓として元NHK・外務省報道官の高島肇久らとともに、岸田夏子という人が出ていた。(実は、『文藝春秋』の「同級生交歓」コーナーが私は結構好きだ。意外な人が意外な人と同級生だったりするのが面白くて、密かに名連載だと思っている。)

彼女は画家を仕事にしているそうで、その名前と職業から想像できるように画家・岸田劉生の子孫だ。書かれた文によれば「岸田劉生画伯の"麗子"の娘」だという。麗子になんで" "がつけてあるのかよくわからなかったので調べてみると(相変わらずウィキペディア)、劉生は娘の麗子の肖像画をよく描いていたらしい(有名なことのようだ…)。その麗子の娘が岸田夏子というわけだ。彼女自身は芸大から芸大院にすすみ、現在画家として活躍している。

でも、なんでわざわざここで取り上げたかと云えば、今読書も佳境に入った福田和也『近代の拘束、日本の宿命』(文春文庫)で最も感動した部分、つまり前回のエントリーで私が唯一性の高揚感を得たところが、岸田劉生の章だったからである。その絶対的な「美」への自信から、近代という拘束から免れることができた数少ない日本人の例として、福田和也が筆致を尽くすこの章はあまりに感動的だ。

ここではその紹介は措き、それについては改めて書くとして、岸田劉生をウィキで検索していたら、劉生の父の名は、岸田吟香(ぎんこう)だという。これも聞いたことのある名前だ。明治期のジャーナリスト。吟香は中国と薬業にも関係する人物とか。こう聞けば、星新一の父が阿片利権をもとに大正時代に隆盛をきわめた星製薬の創業者という話ともかぶってきて、なんだか関係がなくもなさそうな気もする。

ところで、苗字が同じことから前々から気になっていた劇作家の岸田國士(くにお)との繋がりがあるのかどうか調べてみたら、どうやら親戚でもないらしい。岸田國士の娘はご存知、女優・岸田今日子である。昨年、亡くなられたことを思い出す。
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by le-moraliste | 2007-06-08 08:34 | 雑誌
今週の『週刊文春』(6/7号)を読んでのメモ。

※気になっていた文春の文章劣化問題。今号ではすっかり直っていた。いったい、何があったというのだろう。

※中国の地方政府の恐るべき腐敗ぶりが紹介されている記事で、その恐ろしさを知らしめるあり得ない事実が書いてあった。なんでも、地方政府の腐敗がどうしようもないので中央政府に直接、陳情しに行こうとした市民を、中央に罰せられるのを怖れた役人たちが抹殺したという事件があったらしい。腐敗なんてもんじゃない。悪魔的人間たちが彼の国に棲んでいる。そして彼らを育てたのは紛れもなく、歴代の中央の共産党指導部である。

※猪瀬直樹氏のエッセイに、森鴎外が晩年気にかけていたのが元号についてだったことを知った。その遺志が、実際に「昭和」という元号の成立に少なからずかかわっているらしい。すなわち、鴎外の晩年の日記を代筆した宮内省役人の吉田増蔵が「昭和」という元号を作ったのである。この吉田増蔵は昭和16年12月8日の(そう、あの日である)「米国及び英国に対する宣戦の詔書」の起草にも関わりをもった、という。

鴎外は「明治」や「大正」という元号の不適切さに不満をもっていたようで、なんとか次の元号こそは相応しいものであるべきだと研究していた。そこで軍を退官後、宮内省に勤めはじめる。そこで出会ったのが、漢学の素養豊富な吉田だった。鴎外のこの執念についてもっと知りたいと思うのであるが、それを取り上げている、猪瀬氏が当エッセイで(何度も)紹介している(いつものことだ)自著『天皇の影法師』を、どうしても買って読む気にならないのはなぜだろう(これもいつものことだ)。ちなみに、「平成」の年号を考案したとされるのは陽明学者の安岡正篤(まさひろ)で、細木数子の占星学の師匠である。

※今週の土屋賢二教授のエッセイは抱腹絶倒もの。読むべし。

※宮崎哲弥が低俗雑誌『AERA』(の山田厚史)を罵倒。なるほどもっともだが、それより先日の新聞の「安倍日誌」に、森元首相、安倍首相とともに料亭かどこかで会合をもったことが書かれていた。「森の清談」の続編なのか、はたまた別の企画でもあるのか。気になるところではある。

※今週の「私の読書日記」は愛すべき鹿島茂教授。鹿島氏が最初に紹介している、ティム・バークス『メディチ・マネー』(白水社)があまりに面白そうだ。やはり、この人は文章がうまい。読んだ人を本当に読みたい気にさせる。利子で稼ぐこと(つまり銀行稼業)が悪とされるキリスト教社会において、いかにして利ザヤを得るかを考えたメディチ家。それを聞いただけで、本書を読みたくさせる。というか、読もう(猪瀬氏との明らかなギャップ)。

※JALが2000億円の増資救済策を銀行に要請したという記事。その方法はDES(Duty Equity Swap)というもので、債務を株式に転換することを云うらしい。借り入れの一部を議決権のない優先株(どういうことだろう?)に転換させれば、債務者(JAL)は利払いをしなくていい反面、金融機関にとっては株の保有というリスクが生じる。ここであるメガバンクの中堅幹部が語っている内容がよくわからない。

「優先株に切り替えた分で、債務超過を穴埋めするのです。だから、切り替えた株の資産価値はゼロです」。前半はわかるが、後半がどうも判然としない。優先株といっても株なのだから、資産的価値としてある程度は意味があるのではないか。こんど調べてみよう。

また「JALは自己資本に比べ借入金が多すぎ云々」と書かれているので、ANAと比較した上で調べてみた。(ともに昨期の数字。決算報告書参考)

      自己資本       借入金(有利子負債残高)  比率
JAL    1,480億円      12,364億円         11%
ANA    3,982億円      7,494億円          53%

素人の参照方法なのでこれで正しいかどうかわからないけども、この単純な計算でも明らかに借入大幅超過。どうやって再建するのだろう、JAL。
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by le-moraliste | 2007-06-03 03:12 | 雑誌
良い噂は一度も耳にしたことのない黒川紀章だが、こんな才能も秘めているようだ。まったく知らなかった。
僕はいつも、明け方三時にこれ(日本刀)を抜いて、自宅近辺を走ってますよ。刀を抜いて着物で走るという″実戦″の訓練を昔からやっているんです(『週刊文春』3月8日号)
かの近藤勇が使用した(本人談)とされる日本刀を「日本文化デザイン会議」の場に持ち込んでしまった黒川氏が明かす、謎の日常。持ち込むことそれ自体には問題はなかったようなのだが、どこかで見たことのある、強い既視感を覚えずにはいられない黒川氏のこの″訓練″。

つまりは、角川春樹。以前にも紹介した角川氏の超絶した日常と完璧な類似性をもつ黒川氏の″訓練″は、角川春樹がそうであったように、黒川紀章本人の超越的人間性を伺わせるに十分である。氏が「人間の領域を超える」のも時間の問題であろう。(まもなく始まる都知事選挙戦で、その一端が知れるに違いない。)
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by le-moraliste | 2007-03-05 03:49 | 雑誌
仕事帰りに寄ったコンビニでいつものように雑誌の棚を右から左へざっと目をやると、一面ピンクのどぎつい雑誌に視線がとまる。よく見れば『週刊文春』の最新号(2月1日号)で、(忘れていたけど)今日が発売日のはずなのに、もう残り一冊しかなかった。

昨日か一昨日にネットのニュースで読んだけれど、文教堂が集計した週刊誌の販売数ランキングでは『週刊少年ジャンプ』に次いで2位の部数を稼ぎだした『週刊文春』(『週刊新潮』は4位。これもすごいが)。書店での販売数なので売れ行きにはある種の傾向はあるだろうけど、確かに文春はずっと読んでいて面白い雑誌である(文春歴10年。その前に『週刊朝日』歴1年)。その面白さを伝えるためには――。

コンビニを出てから早速飯屋でページをめくりはじめる。普段は先崎学プロ棋士のエッセイ→渡辺敏史「カーナベ」→坪内祐三「文庫本を狙え!」と直線的に読むのだが今日は違った。なんとなく冒頭のグラビアページをパラパラ眺めていったら、目に飛び込んできたのが「角川春樹」の姿。木刀を手に持ち、畳の上で正座する和服姿の角川春樹。久しぶりに見たそのシルエットは、威厳というものではなく、少し痩せたような、意外な薄さを感じさせたが、よくよく顔をじっくり見てみれば迫力もなきにしはあらず。

それより、本文がすごい。思わずのけぞって、ひとりで笑ってしまったぐらいだった。可笑しいから笑うのではなく、この人の尋常じゃない生命力とでも云おうか、余人にはその背中すら見えないだろう恐るべき意志をまざまざと見せつけられたから。
近頃、自分の体力の限界が見えないんだ。朝は九階にあるこの部屋まで階段を三十五往復して、腕立て伏せを百回。その後、バルコニーで木刀を五千回振っている。仕事がなければいつまでだって続けていられる。
アスリートでも格闘家でもない文人なのに。でも文人であるからこそ、「そこ(畳)に正座し、三十分ほど祝詞をあげるのが日課」(地の文)というのが、らしい。でも祝詞って。さらに、脳細胞が覚醒云々という話が続くのだが、その結果、このような境地に立ったらしいのだ。
このままいくとおれは、人間の領域を超えるんじゃないかな。
既に超えているのでは、と思うのが普通だが、今の自分がまだ通過点にしかすぎないらしいことが角川春樹の言葉から伺えるので、きっと、もっとすごい意志を持つまでに至るのだろう。是非、そのときの、春樹の言葉が聞きたい。
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by le-moraliste | 2007-01-25 23:32 | 雑誌
むぅ・・・ブログの背景画像の変更ができない・・・。
CSSの知識は大丈夫のはずだが。

今日、昼間にコンビニに行くと、『文藝春秋』の最新刊が置いてあったので購入。そして、(会社で)すぐ読み始めた。

目次をざっと眺めてまず読みたくなった坪内祐三『「非凡の人」 菊池寛の新しさ』から(いやその前に同じ坪内「人声天語」を読んだけど、あまりに力の入っていない文章だった。無論、それはそれでいいのだが)。

それは一種の日本近代出版史で、菊池寛(私はあくまでも"きくちかん"と読む)が『文藝春秋』を創刊したところからそれが日本を代表する総合雑誌となるまでの薀蓄交じりの好エッセイ。そう、『文藝春秋』はその出立からエッセイ(随筆)を基本とした新しい雑誌だったのだ。と実感するね。

当時の文壇一の小説家でありながら実業家としてもの成功もおさめた菊池寛の人生はつとに有名だが、坪内氏の文章から『文藝時代』という新創刊雑誌との軋轢など知らなかった事実も知れて、菊池寛への関心が再び呼び起こされる。そう云えば、菊池の『話の屑籠と半自叙伝』という本をいつか古本屋で手に入れて、その前からずっと欲しかったから(なんで欲しかったのかは今や不明)すぐに読み始めたけれど、どういうわけか、最後まで読み終わらずにどこかに置いてあるはずだ、と。

確かに(坪内祐三が書いているように)『話の屑籠』は読んでとても面白いエッセイで、毎夜夢中で読んでいたのに。今度、部屋を探して続きを読み始めよう。

ところで『文藝春秋』ではだいぶ前から福田和也の『昭和天皇』が連載されているが、まだ一度も読んでいない気がする。『諸君!』連載の石原莞爾伝がそうだったように単行本になってから読むつもりなのだろうか、自分。連載は当分終わりそうにないのに。

そんなこんなで三島の『奔馬』の続きを、今日も読んで就寝いたします。
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by le-moraliste | 2007-01-15 23:08 | 雑誌
日垣隆は好き嫌いの激しい部類の評論家と云えるだろう。人はその原理主義的なリアリズムに深みを感じないかもしれない。あるいは実践を伴ったそれがむしろ、結構な爽快感を感じさせることに感心する人も少なくないはずである。

彼を売文家と云えなくもないだろう。だが相応の背景なくしてはあれほどの多岐に亘る言葉を重ねることはそうできることではない。いや、その多岐にこそ、浅さを見出す人がいるかもしれない。

いずれにせよ、日垣隆という人の書く文章を、私は結構評価している。評価するに足る勉強量のみならず、隠されたものを見る批評眼も十分に備えているのではないかと思う。時に安易な文章を書くことも確かにはある。しかし、それを安易という言葉だけでは片付けられない何かがあることを、私は感じずにはいられないのである。

『週刊文春』11月9日号に掲載された彼の文章「父親になにができるか/子供をいじめで死なせない方法」。そのタイトルは彼がつけたものではないかもしれないけれど、そしてそれがまさに平凡を表現していると思わせるところ、そこに彼のネガティヴを見出す人もいるのだろうが、でも、実際に読んでみれば、それはなかなかに鋭いところがあるのだ。(でもここにある「鋭さ」は、実は結構な数の人たちにはわかっていることであると私は思う。にもかかわらず、この世相のもとで、そう実直に語れること。それを私は評価したい。)
日本だけで毎年三万人を超える自殺者には、それぞれ幾つもの誘因がある。断言できることなど、滅多にない。/それでも二つだけ、明言できそうなこがある。/第一に、自殺は「コップの水があふれるようにしてなされる」という点だ。
(中略)
一割しか水が入っていなければ、最愛の人が急逝しても後追い自殺をしようとは思わない。九割五分まで水が満ちていれば、友達が挨拶をしてくれなかっただけで自殺を思う。
(後略)
この一文は本文全体のささやかな一部でしかない。それでも、私が注目したのは、まさしく、この指摘こそ、様々な自殺の原因にまつわる(もっと云えば、人生そのものに深く関わる)大人たちが理解しえない(理解しようとしない)真実だからである。

この文章の結論については特別わざわざ書き記すことではないのだが、この一文だけは、記録にとどめたい。この人間の不甲斐なさ、脆さ。これこそ、私たちが知るべき、人間の本質の逆説的な深さなのである。
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by le-moraliste | 2006-11-14 01:20 | 雑誌
ちょっと(いや、かなり)古いものを引っ張り出してみると、1月19日号の『週刊文春』の短いエッセイ。かの御大・水木しげるがよせた(まだまだ現役だ)、“(談)”だからきっと編集者に語りきかせたものを書き起こしたもので、題して「『徹夜自慢』は早死にするぞ」ときました。

日本人はまじめに働きすぎる、だから早死にする努力家が多いのだと語る、非常に個人的な経験も踏まえた水木しげるの文章(語り)はなかなかおつなもんで、ありきたりな内容なのに、なんか妙に頷いてしまうのである。本気で頷いてしまったのは、「あの戦争も、日本人がマジメな頑張り屋だから起こったんじゃないでしょうかね。少なくとも長引いたのはマジメだからですよ」。そう云われればそういう気もし、よくよくこの言葉を考えてみればますますそういう気がしてくる不思議な説得力をもっていまいか。

“マジメ”に日本の自立自衛を考えなかったならば、“クソマジメ”にアジアを背負おうとしなかったならば、“バカみたいにマジメ”に近代国家の道へと進もうとしなかったならば――。もちろん今の先進国日本はないだろうが、そこそこに幸福な一国家ができあがっていたかもしれない。もっとも、明治維新も“マジメ”な若者たちがいたればこそ、成し得たわけではあるが。少なくとも、キッパリ諦めていたならば、あの戦争を幸福な形で終わらせられていただろうことは間違いあるまい。


先週土曜には劇団昴『猫の恋 昴は天に昇りつめ』を観劇。朗らかでありながら結構辛らつな劇で楽しゅうございました。読んでいる本は、今話題の安部晋三『美しい国へ』(文春新書)。10代の若者向けに書かれた意図からか文章が平易で特別難しいこと、刺激的なことは書かれてはいないが、その素朴さが安部氏自らペンを握ったのだろうと思わせかえって好感を持たせる。細かい政策などどうでもいい。書いた人、その人の人となりがわかれば、政治家の著する本としては十分であろう。その点、安部氏の生い立ちが垣間見えて興味深かったし、安部氏の生の声が伝わるようで心地よい文章だ。

まぁ、私が心配するのは、やはり安部氏はまだ首相には早いのではないかということ。日本の内政・外交において、現状、安部氏の登場が最上であることは言を俟たないが、安部氏自身の力がその期待に応えられるかどうか、私はまだ疑問に思ったりするのである。
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by le-moraliste | 2006-08-01 01:00 | 雑誌

北原白秋「邪宗門秘曲」

音楽と云えば洋楽、それもHR/HMしか聴かない。昔、音楽を聴き始めた頃は邦楽もよく聴いていたけれど、そのほとんどがロックだったため自然な流れでアメリカのロックに関心は移り、現在、邦楽は全く聴かない生活となった。

その理由はいくつかあって、ひとつは邦楽の歌詞の幼稚さ。あまりに無邪気な言葉が大の大人によって綴られては当然、気持ち悪いものを感じないわけにはいかない。一方、洋楽であれば歌詞は英語であるのだから多少、内容に乏しいものであっても゛音楽的″に楽しめたりする。いずれにせよ、日本の楽曲の歌詞はあまりに幼稚だ。

そう私が考える根拠は、それなりの判断基準があるからである。例えばボードレールの詩、それを一片でも読んでいれば、詩とはいかなるものか、かくあるべき詩とは何かが誰でもわかるだろう。多分に狡いことかもしれないが、ボードレールの詩を愛する私には、邦楽の歌詞はとても詩とは云えないのだ。詩を構成する言葉のひとつひとつの未熟さ、語られる思惑の幼児性。人は読んで気恥ずかしくならないのだろうか。

なにもペダンティックにボードレールを持ち出さなくても、日本には結構素晴らしい詩がある。高村光太郎の詩もそのひとつだろう。『週刊文春』6月8日号の高島俊男「お言葉ですが・・・」を読んで知った北原白秋の詩もまた、カッコイイ詩の代表だ。(なるたけ旧字体を使用。)
われ思ふ、末世の邪宗、切支丹でうすの魔法。
黑船の加比丹を、紅毛の不可思議國を、
色赤きびいどろを、匂鋭きあんじやべいいる、
南蠻の棧留縞を、はた、阿剌吉、珍酡の酒を。

目見靑きドミニカびとは陀羅尼誦し夢にも語る、
禁制の宗門神を、あるはまた、血に染む聖磔、
芥子粒を林檎のごとく見すといふ欺罔の器、
波羅葦僧の空をも覗く伸び縮む奇なる眼鏡を。

屋はまた石もて造り、大理石の白き血潮は、
ぎやまんの壺に盛られて夜となれば火點るといふ。
かの美しき越歴機の夢は天鵝絨の薰にまじり、
珍らなる月の世界の鳥獣映像すと聞けり。

あるは聞く、化粧の料は毒草の花よりしぼり、
腐れたる石の油に畫くてふ麻利耶の像よ、
はた羅甸、波爾杜瓦爾らの横つづり靑なる假名は
美くしき、さいへ悲しき歡樂の音にかも満つる。

いざさらばわれらに賜へ、幻惑の伴天連尊者、
百年を刹那に縮め、血の磔脊にし死すとも
惜しからじ、願ふは極秘、かの奇しき紅の夢、
善主麿、今日を祈に身も靈も薰りこがるる。
                 北原白秋「邪宗門秘曲」
意味はわからなくても日本語のリズムのよさは誰でもわかるし、言葉のかっこよさもずば抜けている。詩は文語体が最良だが、現代語でも不可能ではないはず。そんな詩を読んでみたいもんだ。


ところで。おなじ高島氏の連載で知った真実。ご多分に漏れず「予言」と「預言」は別物だと思っていたのだが、なんと、同じ言葉だったとは。「豫」の簡略体が「預」と「予」であるから、「予言」と「預言」を別の意味にとるのは全くのデマだとか。辞書も間違っているらしい。これには驚いた。
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by le-moraliste | 2006-06-26 04:53 | 雑誌
さりげなく最近読んだ雑誌の感想。

a. 柳田邦男江上剛鈴木隆「山一日銀特融 エリートの甘え」(『文藝春秋』9月号)

柳田氏が各分野の専門家と鼎談する連載の今回は、山一證券の破綻にみる日本の金融業界について。山一證券が破綻したのは山一特有の体質に原因があるようだが、やはり護送船団方式の弊害が大きい。

バブル崩壊による不良債権問題に対して金融機関からすべての報告を以前から受けていた大蔵省が何も責任をとらず、他方で両者のもたれあい関係によって金融機関に自浄能力を欠如させてしまった構造は、護送船団方式がもつ宿命的結果にほかならない。江上氏のこの指摘が重要だ――現在、経営状況がよくなったとされる銀行は、本来は公的資金のおかげで生き延びたにもかかわらず、いつの間にか自力で再編をやって立ち直ったという顔をしだしている。山一が自主廃業に至ったのは、そのように自分に都合のいいように考えたからではなかったか。

b. 細野真宏「世界一わかりやすい税の話」(同上)

最近、わかりやすい経済学の本を出して好評の、予備校講師・細野氏(数学講師)。世評芳しくない「給与所得控除の縮小」について、これはあくまで「どんぶり勘定」をやめるということであり、給与所得控除を実際に使われている額に見合うように是正することは間違っていないと云う。確かに必要経費が過大に認められているようなので、そうかも。

「説明責任」問題が秀逸。よく「国は説明責任を果たしているのか」と批判される政府は、云われるように本当に十分な「説明」をしていないのか。我々がそう思ってしまう原因は、第一に自分で調べようとしない自らの習慣にあることを細野氏は指摘する。事実としては、政府もそれなりにわかりやすい説明をしているのである。これは私もよく思っていたこと。テレビだけしか見ないで説明不足を批判するのはおこがましい。そう思うから、私などは「説明責任」をしきりに問う人々に懐疑的なのである。

c. 石原慎太郎佐々淳行「陛下、ご参拝を・・・!」(『諸君!』9月号)

一般には報道されていないが、石原都知事の危機管理体制構築への努力は涙ぐましいものがある。政府が何もしてくれないのだから、せめて地方自治体ができるかぎりの対応策を練っておくのは当然だろう。これからも頑張っていただきたい。

d. 伊藤哲夫「大勲位を返上しなさい」(同上)

駄文。肝心要のことが書かれていない。例えば、中曽根元首相の歴史観(「大東亜戦争=侵略戦争」等)を問題にするならば、なぜ、大東亜戦争は正当化されうるかを丁寧に検証しなければならない。が、それはなされていない。日韓併合の合法性を主張するなら、国際法の具体的条文を例示して、他の具体例を参考に、語られなければならない。が、それも不十分。「中曽根=リベラル」というカテゴライズも、ほとんど無意味。ただし、東京裁判の受け入れについて歴代政府がいかに苦心して拒否してきたかということの紹介は重要。

e. 萩原遼不破哲三議長は日本の金正日か」(同上)

これはお見事。上論文とは異なり、「不破議長=金正日」というカテゴライズが説得力をもった証拠とともに明らかにされる。萩原氏は、元『赤旗』記者で最近共産党から除籍された人。日本共産党が党規約にある「党の内部問題は、党内で解決し、党外にもちだしてはならない」という閉鎖性のなかで徐々に、しかし確実に組織として瓦解しているさまは面白い。つまり、党批判はゆるされないという独裁体制のなか、変化する国際情勢に対応できずに(いや、誤魔化しながら対応していくうちに)、もはや党としての存在意義さえ混乱に満ちているのである。不破議長の拉致問題をめぐる右往左往ぶりが、痛々しい。

f. ジョン・ミアシャイマー「20XX年 中国はアメリカと激突する」(同上)

日本ではほとんど知られない、アメリカのタカ派国際政治学者ミアシャイマーの初邦訳本刊行を記念して、一部が掲載された。本人は自分を「攻撃的現実主義者」と名乗り、国際政治をあくまでパワーの対決で把握する注目の学者である。しかし、だからといってネオコンと位置づけられない。ミアシャイマー氏は純国益の観点からイラク戦争を批判しているからである。

氏は国際政治を限りなく現実主義的にとらえる。国家がパワー(軍事力・経済力・人口)を動因として相克するのが国際政治の実態であり、覇権国と覇権国の争いが歴史をつくってきたと考えている。そこから眺めた今後の世界は、中国の覇権国家化。3つのパワーを備えた中国は必ず東アジアの覇権を狙う。そして、その中国に日本がいかに対応するだろうか。その選択肢は、日本自身が覇権国家化するか、アメリカの覇権を利用し続けることになるか、の2つに限られる。

かかる分析にあって、ミアシャイマー氏は諸国家の国内問題には全く触れていない。中国がこのままパワーを増大させていけるのかという疑問は無視されている。また、現在のヨーロッパが、ミアシャイマー氏の云うように覇権国の勢力均衡で維持されているかと云えば、そうではないだろう。そのような問題点を孕みながらも、氏の純粋なパワー構造理論は有益だと思われる。
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by le-moraliste | 2005-09-06 11:07 | 雑誌
はやくもマンネリ化しつつある、最近読んだ雑誌の感想。

a. 保阪正康「ナショナリズムの昭和 第五回 天皇制下の民主主義vs.民主主義下の天皇制」(『諸君!』7月号)

だいぶ前に読んでいたのを忘れていたため、思い出したようにメモ。敗戦後の新憲法をめぐる動きについて、なかなか貴重なエピソードが紹介されている。

新憲法制定を巡る本質的最重要項目は、無論、天皇の位置づけ。日本側が主張したのは<天皇制下の民主主義>で、敗戦以前の<天皇制下の軍事主導体制>からの転換で十分だと考えていた。しかしGHQは、「天皇の政治的、宗教的実権をすべて否定する<民主主義下の天皇制>を目論んでいた。その違いを別の云い方で表現すれば、天皇の統治権を認めるか否か。つまり、云い古された言葉で云えば、君主主権か国民主権の問題である。ところでしかし、この語彙には二重の意味で誤解があると私には思われる。

天皇に統治権があるという意味で君主主権と云えるかもしれないが、明治憲法の規定では天皇の統治権は内閣と議会の制約を受けており、天皇自身の意向は直接には反映されないシステムであったため、実際には国民主権と云ったほうが妥当である。また、国民主権という言葉そのものに問題があるという意見もある。

それはともかく、毎日新聞が日本側の改正案をスクープしてから日本側が劣勢になったのは有名な話だが、以降、GHQ側が完全に主導権を握ることになる。その後の経過は云うまでもない。

興味深いエピソードは、幣原喜重郎内閣の外相、吉田茂らが考えていたという「戦犯自主裁判」。連合国の戦犯裁判を回避しようとする試みだったが、結局、昭和天皇の臣下を裁判にかけることへの同情から、立ち消えになった。少し悔やまれる事実である。

b. 「安倍晋三野田聖子麻生太郎 連続インタビュー(聞き手・宮崎哲弥)」(『文藝春秋』9月号)

解散直前に行われたインタヴューなのである意味面白い発言がみられるが(麻生氏は郵政法案が参院で否決されても解散なんてありえないと発言)、特別深みのない内容ばかりである。最もバランスがとれているのは、やはり安倍晋三。もう少し迫力が欲しいところだが、首相となるならば適切。野田氏は、予想以上に、旧来の自民党を引き摺っている印象が強い。中国寄りの姿勢や国家意識の希薄さが気になるところ。

強烈な印象を残すのが麻生氏。漫画好きはよく知られているが、「新聞は読んじゃダメ。眺めるぐらいでちょうどいい」と豪快な持論を展開。さらに、義務教育を低年齢化し、基本的な読み書きと計算、少々の英会話だけ教えればいいと暴力的な教育案を提示してみせる。理由はわからなくはないが、ちょっと極端すぎる。ただ景気問題よりも教育や治安を上位に位置づけるのは、最近稀な国家論者と云える。本心がどこにあるのか、まったく読めない無気味な政治家である。

c. 後藤謙次御厨貴古井由吉「小泉純一郎は何をぶっ壊した」(同上)

前者ふたりの細かい知識は豊富に披瀝されるが、なんとも無内容な鼎談。うまく云えないが、見事なまでに分析の的がはずれているような感じがする。大事なところを見過ごしているようなのである。また気になるのは、古井氏の発言がことごとく黙殺されていること。かなり可哀想。

d. 阿部和義奥田碩「財界総理」の猛語録」(同上)

赤化、じゃない中国に遠慮しつつある財界人のなかで、珍しく意識的な国家像をもつ奥田氏の素顔に迫る。今のトヨタがあるのは奥田氏のお陰とも云えるほど会社への貢献度は高いが、それは相当の倫理観があってこそのゆえだとわからせてくれる発言がちりばめられている。ちょっと美化されすぎの印象があるが、官の天下りや談合についてある程度仕方ないと率直に認めているのは私には好感がもてる。なんでも廃止すればいいってもんじゃない。

e. 奥野修司「妻・山口百恵の真実」(同上)

夫・三浦友和へのインタヴュー。山口百恵の気の配りよう、礼儀正しさにはちょっと感動する。それに輪をかけた夫・三浦の生真面目さにも頭が下がる。絵に描いたような幸福な家族だが、私にはちょっと違和感。

f. 半藤一利「60年目の「日本のいちばん長い日」」(同上)

映画化もされた半藤氏の『日本のいちばん長い日』は名作。映画版を観たことがあるが、昭和20年8月15日の叛乱は全く初めて聞く事件であった。ところで阿南惟幾陸相は何故、自決前に米内光政海相を「斬れ」という言葉を遺したのか。また、阿南は陸軍の鬱憤を一身に引き受けてポツダム宣言の受諾を拒否したが、それは陸軍の叛乱を抑えるとともに陸相にとどまることで内閣を崩壊させない目的もあったと云われているが、そのことと日米の決戦を最後まで主張したことの整合性がよくわからない。米内を斬れと云ったこととそれとは、何か関係があるのではないか。半藤氏の云うように、阿南と米内のウマが合わなかっただけなのか。今度調べてみよう。

g. 白川静「「国賊来たる」と言われた時代」(同上)

戦時中に教師をしながら学徒と過ごした思い出を語る。石原莞爾への高評価が意外だった。石原のような軍人が当時もう少しいれば、と白川氏は嘆く。中国のことも軍事のことも何も知らない軍人たちが無闇に戦線を拡大していったからである。

h. 赤坂太郎「「小泉vs.反小泉」緊迫の票読み」(同上)

いつもながら裏話盛り沢山。小泉首相綿貫氏の距離が開いていく様がリアルである。とくに綿貫氏のはしゃぎぶりと青木幹雄参院議員会長の権勢低下がリアル。これも解散前の文章だが、この流れと解散後の経緯を眺めれば、なるほど、面白くなってきた。依然、赤坂氏の正体が謎である。

j. 水木楊「理想の晩節 小倉昌男の引き際」(同上)

ご存知、ヤマト運輸の英雄、故小倉氏の人生を綴ったもの。小倉氏は私の尊敬する経営者だが、引退後福祉に携わったときの働き振りがすごい。買い手の同情を誘うような障害者による製品の売り方に異議を唱え、障害者の本当の自立に力を注いだ氏。最後のアメリカ生活のくだりが泣かせる。

k. 立川談志宮藤官九郎「落語ブームなんて知らねェ」(同上)

談志師匠、最高。師匠の「現代落語論」をなんとしても読みたい。

l. 「スクープ 小泉首相が「9月26日・日米首脳会談」をドタキャン」(『週刊文春』9月8日号)

これにはのけぞった。日米間の懸案から逃げたいからキャンセルしたというのが事実だとすれば大問題だが、それよりも、記事にあるように実は現在の日米関係がかなり冷却化しているということに驚いた。私も小泉首相とアメリカ政府の関係は良好だと思っていたので、意外も意外。確かに第二次ブッシュ政権が成立してから、首相は訪米していない。さて、どうなることやら。


〈補〉 『週刊新潮』(9月8日号)の地村保さんの記事が実は一番驚いた。内容は差し控えるとして、かなり重大な「事件」である。マイケル・ジャクソン級のスキャンダルにも思えるのだが。
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by le-moraliste | 2005-09-02 10:23 | 雑誌