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by le-moraliste
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情実と倫理――菊池寛『話の屑籠と半自叙伝』(文藝春秋)①

昨日、ふと立ち寄った古本屋で購入した菊池寛『話の屑籠と半自叙伝』(文藝春秋・1988年刊)をパラパラめくっていたら、ちょっとしか読んでいないのになかなか面白い文章が多く見つけられた。菊池寛って、こんなにエッセイが上手いんだなと初めて知った(とは云え小説も読んだことはないのだが)。

この本は菊池のエッセイ「話の屑籠」と「半自叙伝」を合わせたもので、菊池の死後40年を記念してか1988年に出版された(菊池は1948年死去)。「話の屑籠」は、ややこしいことに、「話の屑籠」と「其心記」という一連のエッセイをこれまた合わせたもので、しかも、その中から主要作を選んでこの本に収められているという(巻末解説は河盛好蔵)。当初の「話の屑籠」は雑誌『オール讀物号』(『文藝春秋』臨時増刊)にいくつか、その後は雑誌『文藝春秋』本体に発表された。「話の屑籠」を引き継ぎ、改題して同じ『文藝春秋』に発表されたのが「其心記」である。さらに、「其心記」と一部時期が重複する形で、雑誌『キング』に「話の屑籠」が掲載されている。もはやよくわからないが、簡単にまとめれば、第一期「話の屑籠」と「其心記」と第二期「話の屑籠」から優れたものを抽出したのが、本書の前半部分である「話の屑籠」、というわけである。(ということはおそらく、「話の屑籠」「其心記」完全版がどこかにあるはずだ。)

そして「半自叙伝」のほうは、巻末の「菊池寛年譜」によれば、雑誌『新潮』に連載されたものらしい。しかしこれも、中途半端な感じで終わっているエッセイなので、すべてが本書に収められているかどうかはわからない(本書のどこにも参考となるようなことは書いていない)。なんだかいい加減なようにも見えるが、内容を読んでみれば、十分すぎるほど価値ある優れたエッセイがちりばめられている。950円で買ったのだから、満足すべきだろう。

両エッセイは、大東亜戦争前後に書かれたものだ。だから、と云うわけではないが、菊池寛の考えていたことがとてもクリアに見えてくる言葉ばかりである。そこから選んでみるとすれば。

今度の戦争を始めたのは、ごく少数の軍閥に相違ないが、そうした少数の軍閥に兵馬の権を壟断せしめたことは、国民全体の責任である。国民が、もっと政治に関心を持ち、立憲政治の確立を念とし、政党内閣制だけでも堅持していたならば、おそらく今度のような大悲運を招かなくともすんでいたであろう。日本人は、その点において情ない国民である。政党腐敗の声を聞いても、依然として旧来の情実によって投票を行い、政治のことは誰かがやてくれるだろうと、好きなやつにやらしておこうといった気持ちである。(「其心記」昭和21年12月)
最近の靖国問題で常に云われることは、A級戦犯の戦争責任である。あたかも、彼らA級戦犯に先の戦争(その開始と敗戦について)の重大な(ときに唯一の)責任があるということは否定するべくもない前提であるかのように、彼らの分祀が正当化される。それで当座の解決ができそうな気分をメディアがこぞって作り出している。確かに、それによって中国と韓国の批判を一時的にかわせるかもしれない。だが、それははたして適切な処置だと云えるだろうか。自国の歴史を振り返るにあたって、誠意ある行為だと云えるだろうか。

戦後の日本があの戦争の責任を自ら追及してこなかったのがそもそもの問題なのだ、と殊勝にも語る人々も多い。けれど、はたして戦後の日本が、あの戦争の責任を問う姿勢をおざなりにしてきただろうか。むしろ、この60年間、さんざんやってきた作業ではないのか。本屋にちょっと足を運んでみれば、あの戦争を検証する本や雑誌などいくらでも見うけられるだろう(これほど批判的に自国が発動した戦争を検証してる国も少ないと思う)。もし、日本人が自ら責任を追及してこなかったと〝錯覚″しているとすれば、それはただ単に、それについての意見が全く一致していないからにすぎない。国民全体が納得できる責任の所在について「帝国陸軍」という組織が相対的に浮上しているだけのことで、それでも「帝国陸軍」それのみが悪なのかどうかは右翼と左翼で意見が大きく分かれる。右翼は国際情勢の反映として戦争責任を免罪し、左翼は陸軍の暴走に責任を求める。この対立する意見は、この60年間、全くかみ合わなかった。私はそのどちらも十分に正しいとは思わない。

菊池寛が敗戦後わずか1年にして、既に的確なことを云っているではないか。「国民の責任」について、戦後の日本人はどれほど考えたことがあるだろう。左翼は陸軍やそれを統帥する天皇にほとんどすべての矛先を向けた。右翼は(実は「国民の責任」を見抜いていながら反発を恐れて)地政学に逃げ込んだ。だが、戦前戦中の国民がどれほど帝国陸軍に期待し熱狂を浴びせていたか。〝国民が″普通選挙(男子のみ)で選出した政治家が政党政治を自壊させ、明治憲法の真髄である立憲政治を葬り去ったことを、つい昨日の自分の姿を、一夜にして忘れたのはなぜなのか。東条英機ら陸軍統制派は国民の支持なくしては政治権力を握ることはけしてできなかった(皇道派の起こした2・26事件も、国民の支持があると思い込んだがゆえの決意だった)。大政翼賛会を結成した政治家たちは、国民の投票がない限り、その場にいることすら不可能だった。憲法にいくら投票の責任は免罪されると書かれていようと、国民が選んだ政治家たちが腐敗したのは紛れもなく、「旧来の情実」を拭い去れない国民ひとりひとりに原因があるはずだ。斎藤隆夫のような政治家を、ひとりでも多く議会に送っていれば、悲劇を避けられたかもしれない。政党政治を崩壊させ、陸軍に実権を握らせ、そして戦争を熱望したのは、我々国民にほかならない。

この「国民の責任」を回避し続けたことが、戦後の議論において、戦争責任(正しくは敗戦責任)の不一致をもたらしているのだ。今さらなんだとも思えるが、では我々日本人は先の戦争の決着をどうつけるべきだろうか。それは多岐にわたる自己批判が必要となるだろうが、まず真っ先にすべきは、優れた政治家を国会に送り込むことであろう。私利私欲を離れて(これは難しいが)、見識ある政治家を多く誕生させなければならない。もし、自分の利害を無視できないとすれば、政治や戦争の責任を他に転嫁してはならないだろう。自分の私的な関係で選んだ政治家たちの悪政は、選んだひとりひとりの国民も責任を引き受けなければならない。法的な責任ではなく、倫理的な責任である。倫理的な責任を常に意識する人間は、A級戦犯の分祀になど微塵も関心を寄せないはずである。

政治的な話はできるだけしたくないので(特にこの本に関しては)、次回は文学関係について書きたいと思う。


【追記-a】
W氏から貴重な文献を紹介してもらったので、これも参考に引用。まずは清沢洌『暗黒日記』橋川文三編集・解説/評論社)から。

昭和十八年五月十五日(土)
…アッツ島に敵軍が上陸すと新聞は伝う。いかに犠牲の多き事よ。かつてこの島を熱田島、キスカを鳴神島と命名し、大本営発表にもその名がある。しかも今は、アッツ島と発表す。とられた時の事を考えての結果ならん。名前を変えることの好きな小児病の現実暴露だ。子供の知識所有者が政治をやっている!

昭和十八年七月一日(木)
今日から「東京都」になる。
名前を変えることを好む現れがまたここに実例を見る。

昭和十八年十月三日(日)
雨降る。毎日の雨で、しかも水道は出ない。
今朝のラジオで鉄道省と逓信省を一つにして運輸通信省、軍需省を作ったかわりに農林省を農商省にするとのことだ。

(一)この大改革がビクともせずにやれるのは流石だ。
(二)しかも機構の変改は必然に一時の能率を遮げる。
(三)「機構より人」をいう東條首相が、それをやらざるを得ないところに問題がある。機構の改革その事は悪くない。

(一)機構いじり―形式主義が依然としてイデオロギーの中心である事
(二)形式を変えなければ、それが中心で動いてきた役人は、そのセクショナリズムから離れ得ない事

右の第二は日本人の特異点として注目さるべきだ。
何人の頭の中にも、現下の最大問題が陸海軍の統合融和にあり、そこに省改廃のメスが下さるべきはずだと考えているのに、一言もこれに言及するものはない。

昭和十八年十月十六日(土)
…「会社の国家性」とか「利益追求の否定」とかいったようなことばかりいっている。軍需会社法もそれだ。形式主義もこれまでになれば到底反省の余地はあるまい。目前の機構に重要点を置きすぎるのは不可だ。どう機構が変っても日本人は日本人だ。ソ連の強いのはソヴィエト組織ではなしに、その国民的伝統による。
もうひとつは、河合栄治郎『時局と自由主義』(日本評論社)から。

人は現代のファッショ的情勢の下で陰鬱に堪えないと云い、自暴自棄と投げやりと冷かな傍観とに耽っている。然し私は、数年来のファシズムこそ、日本国民のありのままの傾向を白日に暴露し、それを認識すべく余儀なくしたことに意義があると思う。凡そ個人に於ても社会に於ても、悲劇はあるがままの現実の認識を欠いた出立にある、マルキシズムの弱性の一つもここにあったのである。
上記の文では「「機構より人」をいう東條首相が、それをやらざるを得ないところに問題がある」という一節が刺激的である。東條英機一人ではもはや手に負えない形式主義の波。必要なことは何かをわかっていながらも、それができない窮屈さ。それは戦時下のみならず、日本の宿阿とも云うべき現実であろう。「どう機構が変っても日本人は日本人」なのである。

そして下記の文については、私は戦時下の日本が「ファシズム」であったかどうかには疑問があるのだけれど、「悲劇はあるがままの現実の認識を欠いた出立にある」という河合栄治郎の警句は、これもまた日本人にとっては痛い言葉である。まさしく国民が「あるがままの現実」を書き記し検証することから、歴史認識は始まるのではあるまいか。(2005.6.21.)


【追記-b】
一部の悪辣な軍人の唱導で無知な国民が戦争に巻き込まれた――それをひとつの歴史観であるとして、広い射程で捉えている論説を見つけた。7月3日の『産経新聞』の「正論」欄、京都大学教授の佐伯啓思氏の「歴史認識の根は我々に在り」である。後半部分を引用しよう。

この戦争解釈(注・あの戦争は世界の圧政から人民を解放したという解釈)に対して、われわれはどうしても釈然としない。「あの戦争」を、ファシズムと自由・民主主義の戦いとし、人民解放の戦いとする、それゆえ戦争責任を軍国主義的指導者のみに押し付け、人民は無傷であるとする歴史観に違和感を禁じえないのである。

だが、戦後の日本の論壇は、大局でみれば、保守にせよ左翼にせよ、決してこの問題に真に向き合ってきたとはいえまい。なぜなら、いわゆる保守は、反共においてアメリカ型の自由な民主主義につき、左翼は、社会主義的な人民主権につくことによって、ともに、西欧近代の人民解放史観というべき歴史観を受け入れたからである。

もし、戦後日本が、アメリカの「同盟国」としてこの種の進歩的歴史観まで受け入れたとするなら、靖国問題について中国の側に言い分を与えてしまうことになるだろう。

「歴史認識」とは、実は「われわれ」自身の問題なのである。圧政からの人民解放、自由や民主主義の世界的普遍化という進歩的歴史観と対峙することだけが、「われわれ」の歴史観の基盤を作る。

だが、まさにそれこそが、「戦争イデオロギー」と断罪された、たとえば京都学派の試行であったし、いかにも稚拙ではあったとしても「近代の超克」論が意図したことではなかったのだろうか。
おそらく、今回の靖国問題の議論の中で最も的確な論説と云えるだろう。私の議論も形無しである。右翼左翼を問わず、程度の差はあれ、先の敗戦を一種の「解放感」をもって受け止めたのは間違いない。それは単に戦争から解放されたという類のものではなく、戦時及びそれ以前の数年間を含む〝社会のこわばり″のようなものから漸く「解放」されたという実感である。それは否定できない事実であろう。だが、そのようなこわばった空気を作りうるのは、一部の人々の力の及ぶところではない。国民全体が、何がしかの形で、それに参画していたはずである。

それ以上に問題なのは、戦後の日本人が明治維新から開戦に至るまでの歴史を「圧政」と捉え、それに対して戦後は「自由な社会」であると素朴に信じてしまったことである。例えば、戦前の憲法論議を見てみればよい。そこでは、天皇の統治権についても仮借ない議論が展開されていたことを知るであろう。それにひきかえ戦後の憲法論議は、どうだろうか。天皇は「象徴」というよくわからない立場に持ち上げられ、人間としての天皇は、戦前とは反対に、狭い宮城に閉じ込められたままである。それは、自由と民主主義という観念をあまりにナイーヴに受け止めているからだ。君主と自由民主主義が両立しえないと信じているのは誰だろうか。

佐伯氏の云うように、無邪気に戦前を悪とし戦後を善とする歴史観は、中国にとってこそ、最も便利な方便なのである。(2006.7.10.)
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by le-moraliste | 2005-06-18 01:35 |