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by le-moraliste
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田中健五の『週刊文春』

昨日の『産経新聞』(5月21日付)に、私がとても楽しみにしている連載、「花田紀凱の週刊誌ウォッチング」が週刊誌の部数について記している。

10年連続で部数第一位は『週刊文春』。約59万部。二位が『週刊新潮』で、その差は6万部ぐらい。話題は『週刊現代』『週刊ポスト』の凋落ぶりが主だが、ちょっと気になったのは、この花田氏が挙げた数字(ABC考査から)と日本雑誌協会のHPで公表されている部数が大幅に違うことである。だから『週刊文春』は80万部ほどあると思っていたので、さてどういう訳だろう。雑誌協会の数字は「印刷証明付部数」なので、いわゆる「公称部数」とは異なるんじゃないのか。(それにしても『サンデー毎日』はしょぼすぎる。ABC考査の数字では8万部・・・。)

ところで花田氏は、『ポスト』『現代』が部数を減らした原因は「クレディビリティの問題」であると云う。そこで紹介されたエピソードが貴重だ。

もう三十数年前、田中健五さんが『週刊文春』の編集長になった時(後に社長)、表紙を今も続く和田誠さんのイラストに変え、「クレディビリティのある週刊誌」というキャッチフレーズを打ち出した。さすがに戦後出版史に残る名編集長、先見の明があったと言うべきだろう。
クレディビリティ、すなわち信頼性。それを確かなものとした『週刊文春』が勝利し、娯楽とセンセーショナリズムに頼りすぎた『ポスト』『現代』の敗北というわけだ。ま、"いまの"『週刊文春』がどれほど信頼性があるかどうかは、少し疑問ではある。(もちろん週刊誌的信頼性には十分耐えうる質を持っている。自分が10年も愛読する理由もそこにある。)

雑誌といえば、坪内祐三。その坪内祐三の『私の体を通り過ぎていった雑誌たち』(新潮社)では、個人的な『週刊文春』との出会いが描かれている。1977年、『週刊文春』の編集長に『文藝春秋』編集長であった田中健五がスライドし、大幅なリニューアルがなされた。
リニュアルした『週刊文春』は、伝統的な文春カラーの良さを残しながらも、かなりニュージャーナリズム的だった。当時よくあった左派からの文春批判のその硬直性よりもずっとニュージャーナリズム的で、文字通り新しかった。
この「新しさ」は、和田誠の描くポップな表紙絵や、異例のエルビス・プレスリーの追悼特集に表れていたという。プレスリー特集の「新しさ」は、私には正直よくわからないのだけれど(実は和田誠の「新しさ」も)、旧来のジャーナリズム的視点を逸脱していたのは、なんとなくわかる。とにかく、田中編集長による『週刊文春』が読みたかった。ついでに云えば、今の編集長以後の『文春』はあまり好きではなくて、前編集長の頃のほうが面白かったという印象がある。
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by le-moraliste | 2005-05-22 02:54 | 雑誌