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by le-moraliste
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幻想とリアリズム――村上春樹『象の消滅』(新潮社)

たとえば、こういう記述。
「人が死ぬのって、素敵よね」と娘は言った。
     (中略)
「そういうのをメスで切り開いてみたいって気がするのよ。死体をじゃないわよ。その死のかたまりみたいなものをよ。そういうものがどこかにあるんじゃないかって気がするのよね。ソフトボールみたいに鈍くって、やわらかくて、神経が麻痺してるの。それを死んだ人の中からとりだして、切り開いてみたいの。いつもそう思うのよ。中がどうなってるんだろうってね。ちょうど歯みがきのペーストがチューブの中で固まるみたいに、中で何かがコチコチになってるんじゃないかしら? そう思わない? いや、いいのよ、返事しないで。まわりがぐにゃぐにゃとしていて、それが内部に向うほどだんだん硬くなっていくの。だから私はまず外の皮を切り開いて、中のぐにゃぐにゃしたものをとりだし、メスとへらのようなものを使ってそのぐにゃぐにゃをとりわけていくの。そうすると中の方でだんだんそのぐにゃぐにゃが硬くなっていってね、小さな芯みたいになってるの。ボールベアリングのボールみたいに小さくて、すごく硬いのよ。そんな気しない?」(「ねじまき鳥と火曜日の女たち」
そんな気がするだろうか? 普通は理解できない言葉の連なりである。「死のかたまり」とか「ぐにゃぐにゃしたもの」とか、村上春樹の小説にはこんな著者独特の云い回しが頻繁にでてくるが、ちょっと読み流しただけでは把握不可能な、熟読したところで結局判然としないこれらが実は村上春樹の゛怖さ″を巧みに演出している。理解しえないものを理解可能に思わせる技術がうまい。不可能性の提示それ自体で゛怖さ″を感じさせることはできるものだ。

私は、村上春樹の小説に登場する人物、とりわけそれが女性の場合にはどうしても平板な人物像を印象してしまう。バラエティの乏しさに苛々することもあるし、現実性のない彼ら彼女らの言葉を素通りしたくなるときもある。けれど・・・。

認識を多少なりとも過剰にもつ人々はその「死のかたまり」が何であるのか、「ぐにゃぐにゃしたもの」のイメージを想像してしまうのである。そして、ここが大事だが、そこに何かしらの現実性を、一瞬だとしても見出してしまうことがあるのだ(私には実はない)。読者は村上春樹の小説を読むとき、何か、人間の深遠なるものを発見した気になって、゛怖さ″や゛感動″を覚えるのだろう。私にとっては不可能性それ自体をケレンもなく書ききる村上春樹の力に感銘をうける。

しかし、そんな私も、「沈黙」という短編を読んだときにはずいぶんと驚いた。不可能性への驚きではなく、村上春樹の真髄が仄見えたことへの驚きである。

この短編はひとりの男の独白がほぼ全てを占めている。そしてその独白がなんとも魅力的なのだ。それはさながら、ドストエフスキーの小説を思わせる。
「そういう強烈な経験をすると人間というのは否応なく変わってしまいます」と彼は言った。「良い方にも変わりますし、悪い方にも変わります。良い方で言えば、僕はそのことでずいぶん我慢強い人間になったと思います。あの半年に味わったことに比べれば、それからあとに僕が経験した苦境なんて、苦境のうちにも入らないようなものでした。あれに比べればと思うと、僕はたいていの苦しいこと辛いことは頑張ってしのぐことができました。そしてまわりの人々が受けている傷や苦境のようなものに対しても、人並み以上に敏感になりました。これはプラスの点ですね。そういうプラスの特質を得たことによって、僕はそのあと何人かの本物の良い友人を作ることができました。でもそこにはマイナスもあります。人間不信とか、そういうものじゃありません。僕には女房もいますし、子供もいます。僕らは家族を作り、お互いを守りあっています。そういうものが信頼がなければできないことです。でもね、僕は思うんです。たとえ今こうして平穏無事に生活していても、もし何かが起こったら、もし何かひどく悪意のあるものがやってきてそういうものを根こそぎひっくりかえしてしまったら、たとえ自分が幸せな家族やら良き友人やらに囲まれていたところで、この先例がどうなるかはわからないんだぞって。ある日突然、僕の言うことを、あるいはあなたの言うことを、誰一人として信じてくれなくなるかもしれないんです。そういうことは突然起こるんです。ある日突然やってくるんです。僕はいつもそのことを考えています。この前はそれがなんとか六ヶ月で終わりました。でも次にもう一度同じようなことが起こったとき、それがどれだけ長く続くのかは誰にもわからないんです。そして僕はこの次自分がどれくらいそれに耐えられるかどうか、まったく自信が持てないんです。僕はそのことを考えると、ときどき本当に怖くなります。夜中にそういう夢を見て飛び起きることもあります。というか、そういうことはしょっちゅうあるんです。そういうとき僕は女房を起こすんです。そして彼女にしがみついて泣くんです。一時間くらい泣いていることもあります。僕は怖くて怖くてたまらないんです」
この独白はあまりに強烈である。リアリズムを村上春樹は完全に理解しているのである。それでもなお、幻想に誘うのはなぜかという疑問がありはしても、この短編さえ読んでみれば村上春樹の力が誰にでもわかるだろう。少なくとも、私にとっては、この独白には涙なしには読めない感動があるのだ。
by le-moraliste | 2005-12-03 15:27 |