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by le-moraliste
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総選挙その後Ⅱ――総論その2

昨日の『産経新聞』に興味深い調査結果が掲載されていた。それまで民主党支持だった人が自民党支持に鞍替えした時期。過半数が解散直後だというのだ。

また、今回の選挙では自民民主の得票数は議席に表われているほど大差ではなくて、各種世論調査の結果を見てみるといわゆる無党派層の動向がわずかに動いたことが結果に大きく影響を与えたわかっている。その゛わずか″を勝ち得たもの、そして民主党から自民党へ支持をスライドさせたものが、あの、小泉首相の解散劇だと云えよう。

安易に考えてはいけないことだが、それがすべてではない。両党のマニフェスト(ただしメディアで脚色されたマニフェストの内容)の差、メディアの報道姿勢、各候補者の努力が選挙の礎にある。それらをもってしても、小泉首相一人には敵わなかったということである。

これは選挙というものの大きな変質を意味するだろう。従来の組織選挙は遠く背景に退き(創価学会を除く)、政党の宣伝効果や党首のパーソナリティに大きく依存した「視線」の選挙である(小泉首相が誕生してからそれは現実化していたことを忘れてはならないが)。有権者の好奇的「視線」をいかにひきつけるか――おそらくそれこそが選挙に勝つ決定的要因となったのだ。

「総論その1」では主にメディアの効果について書き残したが、メディアの力さえ及ばない領域に突入したことには変わりがない。有権者はメディアを素通りして、党首の姿を追いかけている。そういう時代になったとき(おそらく不可逆的だ)、政治家には何が必要となるだろう。

政権与党の政治家は党(首)の宣伝効果を損ねないように、実は、選挙に対して焦燥感を常に感じ続けることになるだろう。過失を見破られれば、勝利は一瞬にして相手に転びかねないからだ。そのような緊張感は、日本の戦後政治におそろしく不足していたものだ。パフォーマンス選挙になったら政治が劇場化してしまうと懸念する向きがあるが、劇場には必ず観客の「視線」があり、客の入りは劇場の存続を左右してしまう。そして舞台の裏には、思索の場としての楽屋が設えられている。舞台と楽屋の峻別は、政治家たちに大いなる劇を演出させる条件となるはずだ。

人間そのものが劇を演じている以上、政治に劇を求めても不条理なことではあるまい。客という冷徹な存在を意識できることは、政治にとって、むしろプラスに働くであろうと私は思う。
by le-moraliste | 2005-09-21 00:41 | 新聞・ニュース