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by le-moraliste
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吉田満の「敗北」――江藤淳の生涯

6月20日の『産経新聞』朝刊に、吉田満著書 乗組員救助の記述 戦艦大和の最期 残虐さ独り歩き」なる記事が掲載された。「吉田満著書」というのは『戦艦大和ノ最期』(講談社文芸文庫)のことで、一般には戦後戦記文学の傑作とされている。

記事は、ノンフィクションの小説とされているにもかかわらずこの小説の一部に事実を〝歪曲″する部分があり、それが旧日本軍の〝残虐性″を誤って際立たせていることを指摘したものだ。具体的には「救助艇の船べりをつかんだ大和の乗組員らの手首を軍刀で斬った」という記述が事実無根であることを述べている。実際にこの小説を読んだことがあり、大学のゼミでそれに関するレポートを書いたことある私にとっては、懐かしい思いを抱かせる。懐かしい、と云うのは、同じように、私も『戦艦大和ノ最期』の「虚偽」を指摘したからである。

文芸評論家の故・江藤淳は、ある時期から、戦後日本の特殊な言語空間を執拗に批判していった。GHQの占領下にあった戦後直後の日本のあらゆる言説が、GHQの検閲によって脆くも骨抜きにされることである特殊な言葉の使い様を身につけ始め、現在に至ってもその拘束から逃れられていないことを大きな慨嘆とともに厳しく批判した。その成果は『閉ざされた言語空間』(文春文庫)で読むことができるが、その流れのひとつとして、「『戦艦大和ノ最期』初出の問題」『江藤淳コレクション 1 史論』(ちくま文芸文庫)所収)を江藤は書き残している(時期的にはこちらが先に発表された)。それによれば、実は、現行版の『戦艦大和ノ最期』の原本となる初出の『戦艦大和ノ最期』が戦後直後に執筆されており、両者の内容がある重要な部分で異なっているのである。初出版は未発表のため、現在読むことはできない(江藤淳がこの評論文を発表した雑誌に同時に掲載したらしいけれども)。

私のレポートはこの江藤淳の評論を紹介したものにすぎなかったが(しかし、ゼミ担当の先生もこの評論文を知らなかったのには驚いた)、『戦艦大和ノ最期』を読むとき、江藤淳のこの評論文を予め読んでいるかどうかでは決定的な差が生れるように思われる。それは、記事にあるような事実誤認では済まされない重大な問題を孕んでいるからだ。現行版の『戦艦大和ノ最期』は、戦艦大和の沈没を見届けた作者自身によって、こう締めくくられている。

彼ラ終焉ノ胸中果シテ如何
そして、初出版では、こうだ。

天下ニ恥ジザル最期ナリ
両者を比較して、どちらが大和の最期を見届けた当事者吉田満の、そのときの心情をありのままに表していると云えるだろうか。答えは明らかだろう。自身大和に乗り込み敵機に沈没されられるまでその上で必死に戦った吉田満が戦艦大和に最後の言葉を送るとすれば、「天下ニ恥ジザル最期ナリ」という形をとるのが至極自然ではないだろうか。では、なぜ、吉田は昭和27年に発表した〝初めて″の『戦艦大和ノ最期』(現行版とほぼ同一)の結末に、「彼ラ終焉ノ胸中果シテ如何」と書いてしまったのか。

江藤淳は、それを「敗北」と表現している。吉田満は戦艦大和の〝敗因″を分析しようして、あるいは戦争の〝悲劇性″を描こうとしてこの小説を当初書いたのではなく、あくまで戦艦大和の最後の情景を一兵士の立場からありのままに浮かび上がらせるためだった。だからこそ、その意図を汲んだ多くの読者に受け入れられたのだった。実は、この改変の間にはGHQの検閲という問題がある。吉田が占領下にこの小説を書き始めたとき、検閲を逃れるために〝不本意ながら″自己検閲として様々な改変(米軍への称賛、文語体を口語体に変更等)を行い、『小説軍艦大和』という表題で一度出版にこぎつけている。(尚、この時点では、初出の『戦艦大和ノ最期』はもちろん公表されていない。)

この改変について、江藤淳は「このときおそらく吉田氏のなかで、なにかが崩壊したにちがいない」と書いている。これは紛れもない「敗北」であった。占領下という状況を考えれば致し方ないとは云うものの、それは吉田の当初の執筆動機を歪めざるを得なかったという点で「敗北」に他ならない。そしてその「敗北」は、ただ戦争に負けたという意味だけでなく、吉田のみならず当時の日本人の多くが感じたことであったろう。日本の戦後という時代は、戦争に敗れて後も「敗北」しなければならなかった二重の悲劇から始まっているのである。

その「敗北」感は『小説軍艦大和』にとどまることなく、昭和27年の『戦艦大和ノ最期』にも受け継がれた。日本が独立してもなお、この『戦艦大和ノ最期』には「彼ラ終焉ノ胸中果シテ如何」と記された。そしてそれが現在(講談社文芸文庫版)にも至っているのである。江藤淳はこう書いている。「創元社版のテクスト作成にあたって、作者が初出や筆写本よりはむしろ『軍艦大和』のテクストに依拠したとき、その敗北はますます深まったのではないだろうか」。創元社版とは昭和27年発行のもので、筆写本とは初出版を書いた後に「親しい理解者のあいだで回覧されるために作成されたもの」(江藤)のことであるが(いずれも未発表)、筆者吉田満は何故に自由になったはずの時代においても自らの本意を隠し続けたのだろうか。さらに云えば、何故に私たちは〝嘘″をつき続けなければならないのか。「作者とともに、『戦艦大和の最期』のヴァリアントのみに接してきたわれわれもまた、敗北のみを「獲得」してきたのではなかったろうか」(江藤)。

そう、私たち戦後の日本人も「敗北」し続けてきたのだ。本来の自我を否定され続けたのは吉田氏にせよ戦後の日本人にせよ、同じである。だからこそ、その「敗北」の一因であるGHQの検閲問題を、江藤淳は生涯批判した。戦後日本の言語空間がある種の「嘘」を胚胎させていることを、文学を手始めとして、江藤淳は書き続け、その現実を明らかにしようとしてきた。だがその「嘘」=「仮構」は、避けられたものだったろうか。「近代」という「仮構」の時代には、言論も「仮構」たらざるをえないのではないか。そのことを知っていた江藤淳は、「仮構」からなる小説を一定の基準――それに対し批評的であるかどうか――を充たしている限り、評価をしたのだった。「「仮構への批評性によって支えられた仮構」という、ある人々によっては倒錯ととらえられかねない基準に江藤は原理主義的でさえあった」(大塚英志『サブカルチャー文学論』朝日新聞社)のは、なんとかして「敗北」に打ち勝とうとする江藤の気概である。おそらく、無駄に終わらざるをえないような。

ようやく終わり。文章は中断せずに一気に書かなくてはだめだと思った今日この頃であった。(2005.6.26.)
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by le-moraliste | 2005-06-21 03:40 | 新聞・ニュース